エール前半戦終了の雰囲気のなか、
TVログやツイッターでもこんなご指摘の声が目につきます。
「長丁場の朝ドラには一貫したテーマが必要だ」
「本作はストーリーに芯がない。毎週バラバラである」と。
まったくの同感です。
以前どっかで書いたのですが、
良作の朝ドラには目に見えて分かりやすいテーマと
隠れた地下水脈的なテーマがあると思っていて。
後者が人生訓的というか、
誰もが自分ごととして共感できるような、
骨太な価値観を提供していると考えています。
例えば「ゲゲゲの女房」は、
表向きは「妖怪漫画」の作家を支える女房なのですが。
その妖怪が「見えんけどおる」も...
エール前半戦終了の雰囲気のなか、
TVログやツイッターでもこんなご指摘の声が目につきます。
「長丁場の朝ドラには一貫したテーマが必要だ」
「本作はストーリーに芯がない。毎週バラバラである」と。
まったくの同感です。
以前どっかで書いたのですが、
良作の朝ドラには目に見えて分かりやすいテーマと
隠れた地下水脈的なテーマがあると思っていて。
後者が人生訓的というか、
誰もが自分ごととして共感できるような、
骨太な価値観を提供していると考えています。
例えば「ゲゲゲの女房」は、
表向きは「妖怪漫画」の作家を支える女房なのですが。
その妖怪が「見えんけどおる」ものと語られ、
さらに「本当に大切なことは目に見えない」という
普遍的な人生訓に昇華されている。
この脈々と流れるテーマが、しげ〜さんの「存在しない左手」と
夫の「片腕」として「影」で支える布美枝の生き様の
バックグラウンドになっているわけです。
さらにその価値観は、
亡くした息子の替わりに太一君に親切にする美智子さん、
戌井さんを信じ切る奥さん、
情を優先する深沢さんから離れていく秘書さんなど
主役だけでなく脇役の言動にまで反映されていて、
いついかなる場合でも本筋を補完するという構造になっています。
これが「カーネーション」なら「洋装」を通して
「時流の中で変わりながら変わらない姿勢」であったり、
「スカーレット」なら「陶芸」を通して
「生活と情熱のせめぎあい」だったりするわけです。
前置きが長くなりました(前置きやったんかいっ)。
昨日Eテレの番組「らららクラシック」で言ってたんですが、
西洋音楽は基本的にすべて4つのパートでつくられていますよと。
ソプラノ、アルト、テノール、バス、
それぞれ独立してのびのびと歌い上げられるメロディをつくったうえで、
4つが美しい和音になっていると。
要するに西洋音楽の楽譜というものには
横軸に「自由」が、縦軸に「調和」が記されているんだよ
というお話でした。
西洋音楽とは、4人の男女の「自由」と「調和」である!
これ、今期朝ドラのテーマになったよなと思った次第です。
後半からは『裕一×音×(鉄男か久志)×その恋人』が
自由を謳歌しながらも力を合わせていく、
そんな物語になったらいいなと期待します。
もちろん恋人は、留学帰りの夏目千鶴子でお願いしたい。
私はまだあきらめませんw