タイトルからしてどうなんだと思いながらも、とても話題になってることもあり後追いしつつ鑑賞。
思ってたのと全然違う良質な恋愛ドラマでもあり、世界観そのものが優しさに溢れていて、誰もが必要な存在として描かれる関係性の作られ方と全てが主人公の成長物語に繋がるヒューマンドラマとしても素晴らしい作品だった。
こういう作品がたくさんの方に評価されてるのを見ると、何も大袈裟な演出や盛り上げる突飛なことがなくても、ちゃんと人に寄り添って、細部まで丁寧な作りをしてれば愛される作品になるんだという証明にもなったし、世の中は優しさで回っていくようになるんじゃないかと、生きることに希望が持てる。
巷で囁か...
タイトルからしてどうなんだと思いながらも、とても話題になってることもあり後追いしつつ鑑賞。
思ってたのと全然違う良質な恋愛ドラマでもあり、世界観そのものが優しさに溢れていて、誰もが必要な存在として描かれる関係性の作られ方と全てが主人公の成長物語に繋がるヒューマンドラマとしても素晴らしい作品だった。
こういう作品がたくさんの方に評価されてるのを見ると、何も大袈裟な演出や盛り上げる突飛なことがなくても、ちゃんと人に寄り添って、細部まで丁寧な作りをしてれば愛される作品になるんだという証明にもなったし、世の中は優しさで回っていくようになるんじゃないかと、生きることに希望が持てる。
巷で囁かれてるタイトルのように本当に30歳まで童貞だと魔法使いになれたとしたら、という奇想天外な設定から紡ぎ出されるのは、人の優しさや繊細さ、それらを含めて純粋さからなる丁寧な人間模様。
その中に詰まっていたのは愛と友情であり、人と人とが交わる中で誰もが誰かのことを思いながら生きていき、関わり合っていくことの尊さを強く感じられた。
人は相手の気持ちや何を考えているのかが、わからないから臆病になる。
特に成功体験が少なく、自分に自信がない人は尚更その傾向になりがちだと思う。
自分が嫌われてしまってるんじゃないか、誰からも求められていないんじゃないかと、どうしてもネガティブになってしまっては、生きることに後ろめたさを感じてしまいがちになる。
性善説ではなく性悪説で他の人のことを見てしまいがちだ。
そんな主人公の安達が、触れたらその人の考えていることがわかるという魔法使いになり、そこから人の気持ちと向き合うこと、そしてそこから踏み出していく安達にとっては重たい一歩の積み重ねが、徐々に彼を変えていく。
この徐々に変わっていく上での様々な障壁やその時々における感情や気持ちへの寄り添いとそこを細部までしっかりと徹底して描き切るから、恋愛の物語としても、仕事の物語としても、とにかく色んな視点で主人公に寄り添うことができ、彼の目線から同じように感情や気持ちも含めて追体験できる作品になっている。
その相手役としての黒沢はとにかく仕事ができて、頼りにされていて、何もかもが完璧で自信もありそうな足達とは正反対の人物像として描かれる。
安達は、まさか黒沢が自分のことを好きだとは思ってもいないだろうし、気に留めてるとすら思ってもいなかった。
ただし、触れることで彼の気持ちがわかってからは、戸惑いながらも徐々に安達からも歩み寄るようになっていく。
波風を立てないように人との距離感をある程度とりながら生活をしていたこともあり、色んな人との距離を近づけようと安達なりに頑張っていくことで、今まで味わったことのなかった良し悪しの両面にぶち当たる。
そして、うまくいってて完璧に見えて悩みがなさそうな人にも、その人なりの悩みがあって…。
ただし、そういう弱さを見せられないのも一種の他者を心の底から信じ切られていないものとして描かれていった。
色んな人の想いにちゃんと向き合っていく安達と安達に対していつでも想像以上の優しさを抱き続ける黒沢。
その2人の物語だけでも十分に素晴らしかったが、それ以外の六角や藤崎が2人のことを思って行動していく姿まで含めることで、より尊さが助長されていた。
さらに、柘植と綿矢にはまた違った物語があって、それも2人だけで完結することなく、実は繋がっていたそれぞれの関係から、より深いドラマとして帰結していたように思う。
それらの尊さ満載の物語を経て、最終的に示唆されていたことは、自分を好きになって自分の想いに素直になることの大切さ。
そして、間違えてでも自分の選択に自信を持ち、それによって失敗したとしても、とにかく大切に思ってくれる誰かを信じて、行動に移していくことの大切さであった。
そこまで信じ合える関係をどう築き上げていけるかが大事。
確かに自分を信じ切ることも相手を信じて頼ることも簡単なことではない。
それによってよい結果に繋がることもあるが、よくない結果に繋がる可能性もあって、そのときの代償を強く考えてしまうほど、自分や周りとの関わり方を変えるハードルは上がる。
だから触れると相手の気持ちがわかるという魔法は、行動に対して悩むよくない結果に繋がる可能性が大きく下がることで、行動へのハードルが下がり、卑屈になりかけていた安達をも大きく変えていく上で、最も必要な魔法だったんじゃないかと思える。
ただし、現実ではそんな魔法は生まれない。
逆に魔法がなかったら本当に自分を変えていけなかったのか。
どうしたらそれがなくても安達は自分を変えて、周りとの関係性を変えることができていたのか。
これらに関しても同時に考えさせられる。
人は思っていることや考えていることを全て言動には、基本的には移さない。いや、移せないとも言うべきか。
それは何も安達だけでなく、安達が魔法でそれぞれの気持ちを読まないと、それぞれが何を思ってるのかがわからなかったことから明確。
もちろん全てのことを言動にすると、サプライズができなくなったり、相手を傷つけてしまったり、自分が嫌われてしまったり、自分のプライドが崩れてしまったりと色んな弊害もある。
ただし、誰かのためになることで、それを伝えても弊害になりそうでないものであれば、どんどん言動として表に出していくことで、魔法がなくてもそれぞれが自分を少しでも好きになれて、周りと積極的に関わることができるようになるのかなと思った。
どちらかというとできている部分じゃなくてできていない部分をどうしていくかを考えがちになるし、誰かに対しての言動に至っても、できたことじゃなくできなかったことを軸に話しがちになる中、できている部分、できた部分にもう少しそれぞれが目を向けられたら、何か世界が変わりそうだなと感じられた。
こういう作品を見ると、もっと性善説を信じて生きてみてもよいのかなと思える。
むしろこのような世界ができるために、何ができるのかを考えたくもなった。
今泉力哉監督の作品を観ているような感覚に浸れた。
それぞれがそれぞれのために言動に移していける世界観の尊さはやっぱり物凄いものがある。
こんな社会が一つでも増えたらなと思った。
P.S.
赤楚衛二さんと町田啓太さん。
どちらもそこまで強く演技に注目したことがなかったが、本作の演技とてもよかった。
赤楚衛二さんは、『ふりふら』と『映像研には手を出すな!』も含めて完全にトレンドの年に。
本作は自信のなさを抱えながら生きる人間を絶妙に形にしていく表現力が凄かった!
さらに、徐々に変わっていく姿の見せ方と抱いている気持ちを表情で見せるのもうまかった。
町田啓太さんはとても繊細な演技が印象的。
2人とも役にハマりすぎてた!
それに加えて藤崎を演じた佐藤玲さんが個人的にはめっちゃ印象に残って、『架空OL日記』に出てることを知って観よってなった。