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もしかしたらあたしたちはみんな
いつか胸を張ってこう言えるのを
願いながら、生きているのかも知れない
「これがあたしだ」
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物語のラストを締める望美のセリフ.
望美はアナウンサーへの活路を見出し、妹、父、父の家族、そして結人たちそれぞれも同じように元来の望みに向かって歩みだす.みんなの「これが私だ」が実現したというわけだ.
その意味では、25年間眠り続けて時間を奪われてしまった望美も、25年の間に現実にすり減らされてきた他の登場人物たちも、同じ状況と言えるのかも知れない.みんな25年ぶりに自分の人生の時計の針が進み始めたのだから.
この幸福な大団円は望美の目覚めなしにはあり得なかったわけだけど、その目覚めそのものは、あの母親がいなければあり得なかった.ここに思いをはせると、この物語のなかの母の立ち位置がとても特別なものであることがわかる.
自分自身の時間を止め、命を捧げて娘の時計を動かした母.その母が望美の36歳の誕生日を祝いにやってくる.彼女の目には「これがあたし自身だ」と胸をはる娘の姿がうつったことだろう.
いや、あのシーンは夢なのだから、望美自身がいまの自分の姿を母に認めて欲しかった、と理解したほうがいいような気もする.
これがあたしだ、と言うには、それを受け止めてくれる相手も必要なのだ、たぶん.
時にツッコミどころもたくさんあるドラマだったが、一種の寓話的な雰囲気が独特な、印象に残るドラマだった.脱落せずに見終えた自分をちょっとほめたい.