個人的に、とてもビターな後味の作品となった。
先週の放送で確信してしまった「寿一のいない世界」が描かれた最終回。ドラマが始まった瞬間は、「なぁんだ。思い過ごしか〜良かった」なんて安堵のため息を付いたものの、だんだんとそれが、どうやら安心できな事態になっている……と気がつく。さくらの放つ「寿一さんは亡くなりました」を聞いた寿三郎の表情を見たあと、もう一度冒頭からの9分間を見てみた。ああ、こういうことだったのか、と感じながら見返すこの9分は本当に切なかった。あの瞬間も、この瞬間も、寿一の魂は彷徨ったままだったのだ。
この後、息子の死をなかなか受け入れることが出来なかった寿三郎の目の前に寿一が現れ、互いに徐々に気が付き始める。求め続けていた「オヤジから褒められる」を味わうことととなり、そうして彼の魂は自分の死を受け入れていくのだけれど……。
すべてを見終わった後、なんだかやりきれない気持ちになったというのが正直な所。私はずっとクドカンのファンであったし、役者・長瀬智也のファンでもあった。だからこの作品が持つ意味や、その描かれ方、またそれとは関係なしにただただ楽しめる作品であること、できれば満点を点けたい!!という気持ちが心の多くを占めるのだけれど。うーん。やりきれないんだよね、ほんっとに。
さくらが寿一に「本当に自分がないんですね」といったとき、寿一は「そっすね」と言った。そして「オヤジが死ぬまでそばにいてくれ」「俺の家を頼みます」と伝える。「俺の家が大丈夫なら、俺は大丈夫」という寿一。この一連のやり取り、本当に本当に見ているのが辛かった。家、家族、血筋、伝統、全て素晴らしいものでしょう。それは疑うことはできない。けれど、寿一が最期に挑んだプロレスも、魂の形になってまでも修練を積み続けた「隅田川」も、私たち視聴者はみることができない。寿一自身がそれでいい、と思っていることは分かっているけれど、とても悲しかった。全てが家のため、家族のため、オヤジのために、それが最高の形であることが自分の幸せ。そして、他者(オヤジ)から認められことが唯一の望み、に読み取れてしまえる話で完結するとは……。でも、寿一が望んだんだよね。うん、分かってるんだ。
家を託されたさくらの描写もやりきれないものだった。というか、クドカンの描く女性について、そろそろ「クドカンだから仕方ないか」で諦めるのも嫌になってきたなぁという気持ちもある。結婚しなくたって、家族になる方法はいくらでもあるはずなのに。
とはいえ、めちゃめちゃ語りきれないほど感情を揺さぶられたドラマであったし、伏線が回収されていく気持ちよさもあり、そして「これはまさに私の家の話だ」と思える場面が何度もあった。だからこそどうしても寿一に自分を重ねてしまうし、この物語の締めくくりになんとも言えない気持ちを抱いてしまうのだ。もしかしたら見かえすことは出来ないかもしれない。けれど、とても愛すべきドラマであった。