朝ドラ『エール』が始まったのは、3月30日のことだった。前作『スカーレット』が随分前のように思える。180日前後で終わる予定だった物語は大幅に変更され、243日目で幕を閉じた。歴代の登場人物たちとはまた違う類の愛着を、古山夫妻に感じている。
娘・華の結婚相手が見つかった後、最後の一週間は走馬灯のように駆け抜けていく。これまでの集大成といえるオリンピック開幕曲の最後のピースを、音や昔からの仲間たちの何気ない姿から見出したのが良かった。裕一が言った“これ以上ない幸せ”は、私たちの生活のふとした所にも転がっているのだと思う。
物語上の最終回でもある第119話はとても穏やかで、晩年の裕一の姿とも重なった。先述したオリンピックの依頼や盟友・池田の死や光子の死、華の結婚式や音の闘病生活など、重要なエピソードがサラッと書かれていく中で、志村けん演じる小山田とのシーンはどうしても“完成”させたかったのだろうなぁと思うと、涙が出た。
最後なので書いておくと、私は『エール』の生々しさが好きだった。芸術の才能がある人/そうでもない人の線引きが明確で、酷な描写もあったけれど、その素直さが良かった。自分の近しい人が召集されても戦争を何処か他人事のように思っていた裕一が、藤堂先生を目の前で失ったことで、戦争への恐怖や自分が成してきたことの恐ろしさを思い知ったシーンでも、私は裕一を「無責任だ」と責められなかった。そういう部分も含めて“生々しい”作品だったと思う。
『エール』は新型コロナだけではなく、様々な困難に見舞われた作品だった。「物語の良し悪し」と「制作サイドの事情」は切り離して考えなくてはならないが、それでも『エール』は作り手の苦労を思わずにはいられない。
音の「海が見たい」で、物語は昔へ遡る。まだ裕一が何も手にしていない頃、音と音楽だけは傍にあった。いろいろあったけれど、気持ちの良い着地。本当にお疲れ様でした!