並のドラマなら、
白井大臣は半沢の自宅に行った時点で陥落していたと思う。
情に流されずに踏みとどまり、
あらためて東京中央銀行で「今後の政治生命のためにも」と
説得されてようやく半沢側につくことを決断した。
本作の作劇上すばらしい点がここに象徴されていると思う。
半沢の敵だろうが味方だろうが
各人はあくまで己の利益に従って行動しており、
その行動に至った合理的な理由がこれでもかと描かれる。
これだけ登場人物の多いドラマに関わらず。
この原則は大和田常務や黒崎検査官は言うに及ばず、
スパイラルの瀬名社長にもセントラル証券の森山にも当てはまる。
彼らが半沢を助けるのは恩返しであって奉仕ではない。
ただ一人、同期の渡真利だけが
友情という「非合理的」な動機で動いているのだが、
それゆえに彼の仕事ぶりや私生活はいっさい描かれない。
彼の人生の背景を消すことで
我欲が生じる余地まで消し去っているのだ。
そうやって周囲を私利で満たすことによって
主人公たる半沢直樹の異彩さが際立つ構図にもなっている。
彼だけが内なる信念によって行動するからこそ
花言葉を介して語られたテーマ、
「正義」と「誠実」を体現する人物として
印象づけることができている。
人にはそれぞれに欲があり、利益のために動こうとする。
誰だって自分のために生きているのであって、主人公の駒ではない。
この当たり前を貫けないドラマが多い中で本作は甘えない。
徹頭徹尾、「欲」や「合理的理由」を描くことで、
どんなに荒唐無稽であろうが「バンカー」のドラマとして
筋の通ったリアリティをもたらしている。
私はここに制作陣の
「正義」と「誠実」を感じずにはいられない。