




『MIU404』が、終了した。
今回描かれたのは、私怨と正義のどちらをとるか。仲間を傷つけられた伊吹と志摩が、久住を追うためにどんな手段をとるのか。2人の絆にも危機が訪れる。
久住のキャラクターには『ダークナイト』のジョーカーとのリンクが見え隠れしていたが、今回もニヤリとさせられる要素が満載。たとえば久住はジョーカーと同じ紫の衣装を身にまとっているし、「何が目的か、何を考えているか知りたい」と言う伊吹に対して「何もないよ」と返す。
面白いから、やる。本心では何か目的があるのかもしれないが、他者に告げることはない。震災の被災者か?と思しき要素がちらりと見えるが、その部分も前回同様に「相手に合わせて自分の過去を創作して話す」の一環かもしれない。これも『ダークナイト』のジョーカーとの類似点だ(ちなみに、志摩がコイントスをするシーンはトゥーフェイス好きにはニヤッとさせられるかもしれない)。
確かなのは、彼が「犯罪者」であるということだけ。しかしその部分も、データを巧妙に改ざん・或いは消去して曖昧にしてしまう。非常に現代的な知能犯であり、ある種の「ゴースト」的な存在だ。データ社会では、悪意すらも立証できない。ネット上の誹謗中傷のように。
こういったデジタルな犯罪者に対し、リアルな方法論で刑事が追い詰めていくのが、近年の王道ライン。本作もその流れにのっとり、伊吹と志摩は肉体を酷使していく。そしてまた、他人を切り捨ててきた犯人が、複数の正義に追い詰められていく展開も、王道だ。
最終話はそういった意味で、実にスカッとするザ・エンタメの構造になっているのだが、シーズンを通して観てみると、その中にも現代社会への問題提起を組み込んでいるのが、本作の特長。特に、上記に挙げたような「ネット社会における他者の残酷さ」は、シーズンを通して毒を放っている。
久住が放つ「お前たちの物語にはならない」という言葉は、まさに現代ならではの感覚だ。一面的な情報だけでストーリーをでっちあげ、簡単に他者を判断した気になり、レッテルを貼ってしまう――。現代社会の弊害から生まれたキャラクターとして、久住にはどこか悲惨さが付きまとう。
最終話では新型コロナまで採り入れており、制作陣の臨機応変さに感嘆させられるとともに、志摩と伊吹が今の世に必要であると思わせてくれる『MIU404』。しかし、どこか異物感が残るのは、他者からのバーチャルな悪意が、依然として私たちのすぐそばにあり続けるからなのかもしれない。
結局、久住に「乗っかった」ネット上の人物たちは、何も裁かれずに生き続けるのだから。