都内独身OLの間取りじゃないだろ…というツッコミもあるけれど、そのあたりは置いておいて。
このドラマ、アラサーには共感できることが多いと思う。
私も完全に同世代なので、メイの「何かしなくちゃ」が痛いほどわかる。
身の回りの同い年の人たちが、名のある「何か」になる年代。出世した人、結婚した人、子供を産んだ人。そういう名前をつけられる人たちに囲まれるようになる。
そして自分を見つめ直すと、何もないのだ。
何かしなくちゃいけないという漠然とした焦り。誰に言われたわけでもないのに「何かにならなくちゃ」と道を探す不安感。
自分にない何かを満たした人や、自分ではなれない何かになった人が羨ましいというよりも、本来なら同い年の自分も手にできていたはずのそれを手にしていない自分がみっともなく感じられてしまう。恥ずかしいのだ。
メイは、出世している。でもメイにとって出世は「何かしなくちゃ」を満たしてくれるものではないらしい。私は出世を諦めているので、仕事ができるだけでも素晴らしいと思うが、メイはまだ向上心がある。(これこそが、出世できる人とできない人の違いだろう。)
一方で私も、もしかするとメイから見たら「何か」を満たしているかもしれない。でも私は私で、周りが仕事で認められる中、自分だけ同じ期間働いているのに何も成し遂げていないように思えて、「何かしなくちゃ」という焦りを常に抱えている。
他人がどう感じたとしても、メイにとって今の自分は不十分なのだ。それは他人の「今のままでいい」の言葉では解決せず、メイが心の内からの働きかけで納得するしかない。
これだけ頑張っているように見えるのに、メイ自身は、さらに何かをしなくちゃ自分は頑張っているとは言えないという見えない圧力に常に怯えているのかもしれない。
十分頑張っているから、これ以上「何かをしなくちゃ」いけないなんてことはない。今していることで十分。
言葉にすれば簡単だが、誰かから言われたところではいそうですねと生き方や考え方をすぐに変えられるわけではない。
だから、何話もかけてナギサさんの言葉がメイを縛る鎖を解いていくのだと思う。
そして、その言葉はきっと視聴者の同世代にも響く。今の自分に満足できるようになる人や、なりたい自分になるために「何か」じゃなく決まった努力をできるようになる人もいるだろう。
第3話を見て、思っていた以上にアラサー女性へのエンパワメントを感じた。