「あんな言い方をするなら犯人じゃないだろう」という思い込みこそが一番危険だとよく理解できる残酷な話だった。
信じたいというバイアスこそが、人の目を最も曇らせる。
志摩もきっと、何度も「信じたい」フィルターで裏切られて、最初から疑う姿勢になったんだろう。
今回はドラマとしての演出がすごかったと思う。後から気付いたが。
ほとんどがノロノロとしたカーチェイスにもかかわらず、全く画面に飽きないのはどういうことだろうか。
会話劇、少しだけ切り替わる署の映像、映す表情。
工夫がされていれば、ただの尾行でもこんなに面白いのかと驚いた。飽きない自分に気づいてしまった。
そして松下洸平という役者のチョイスも素晴らしかった。
善良そうな青年っぷりにも関わらず、切羽詰まった表情も、震える手も、涙ぐんだ瞳も。信じたくなってしまうような演技が凄かった。
車を運転した夫婦は、信じたい気持ちが多分にあったことは考慮しつつ、彼の必死さに絆された部分もあるだろう。私もそれに絆されてしまった。刑事にはなれない。
今回の話は、悲しい話だったと一言で言ってしまえば簡単だが、誰に感情移入するかでもしかすると見えるものが全く違うのではと思った。
私は、今度こそと信じた夫婦と、自分と同じ目にあわせたくないがゆえに警察らしさより信じる気持ちを優先した伊吹が悲しいと思った。
相棒を失ったらしい志摩の悲しみは、まだ今回(=伊吹が相棒の間)挽回ができると思った。
そして、犯人の加々見については、その境遇の悲しさ、同じような感情を抱いて伊吹のようになれなかった不条理さに嘆くと同時に、どうして父への怒りを他の人に向けてしまったのかという怒りを覚えた。(もちろん救ってやらなかった世界への怒りもある。)
だから、罪を犯したくなかった加々見へ一番悲しさを覚える人の感想は、かなり新鮮だった。
私のような、加々見に同情できない人間は、ふとした拍子に自分も加々見になりうると自覚しながら生きた方がいい気がした。
同情できない気持ちの根幹にある「遠い人間だ」という思い込みと過信が危ない気がする。
そういえば、志摩が謝った瞬間、伊吹が志摩を庇って殉職する可能性を考えた。
でも、この物語の一番悲しい終わり方は、相棒解消なのではないか。
吹けば飛ぶような存在の4課で、その日が来た時、二人はどんな表情をするのか気になる。