2.0
出演者 3.5
ストーリー 1.0
演技 3.0
映像 3.0
エール 第35話
本作の(というかここ数作のAK朝ドラの)問題点が
今週も表出していると思う。
それは、人生の試練を敵として描くなということ。
「努力もしないくせに才能という言葉で片付けないで」と
まともな考えをもつ千鶴子を、
なぜあんなに嫌味な女に描いたのだろう。
「一曲も採用されないなら契約金を下げる」という廿日市は
そんなにブラックな上司だろうか。
これまでも
馬具職人の仕事がないなら他所へ行くという岩城。
家業を助けてほしければ養子を寄越せという茂兵衛。
養子なら子孫を残すのが務めだという権藤家の母。
音楽や女にうつつを抜かすより家業を考えろという浩二や及川。
彼は、ちゃんとしたドラマなら「まともな世間」の代表だ。
主人公が成長のために乗り越えていくべき壁だ。
そんな「まともな世間」を
本作はことごとく「主人公の敵」として描いている。
「敵」として設定することで「倒していい存在」にしてしまう。
主人公が社会で果たすべき事柄を、放り投げていいものとしてしまう。
こんな無責任な物語がまかり通っていいのか。
AKスタッフはこのことに罪悪感を感じないのだろうか。
「選ばれし天才 vs まともな世間」は
「ヒーロー vs 怪獣」とは違います。
単純な善悪じゃないから、現実を前にしてもがき苦しむ。
それが人間なんです。
苦しみを描けないドラマは人間を描けてないんです。
いや特撮モノだって
単純な善悪などという子どもだましは通用しない。
白黒じゃなくグレーだからこその葛藤だって描いている。
ヒーローとは他者に思いを寄せることのできる人間だからだ。
NHK東京放送局よ、人間を描くことから逃げるな。
とりあえず、
ウルトラマンvsジャミラを正座して見ろと私は言いたい。