




音楽に詳しいわけではないけれど、交響曲は重層的な曲づくりができてこそだと思う。
裕一がいきなり交響曲をつくれたことに、
「すごい天才!」で満足する視聴者もいるだろうが、
サクサクできすぎてつまらないと見る向きも決して少なくない。
(あさイチの大吉先生もふくめて)
ちょっと振り返れば、裕一がハーモニカクラブを辞めるときにつくった曲は
バスハーモニカのパートを重視した重層的な曲だった。
このエピソードをもっとうまく活かしていれば交響曲づくりへの説得力が増したはずだが、
このエピの印象が弱いせいで積み重ねに感じられないのが痛い。
このエピの何がいけなかったか?
裕一の友人・史郎がバスハーモニカに不満を持った際、
ハーモニカクラブの会長が「下手だから主旋律を任せられない」と断じてしまったことに尽きると思う。
ここでバスをいったん下げたから、そのあと裕一がバスを上げても
視聴者の印象ではプラマイゼロで終わっちゃうのではなかろうか。
ハーモニカクラブの会長が「バスは重要だ、音楽の肝だ、裕一なら分かるはずだ」と言ってたらどうなったか?
その言葉を受けた裕一がこれまで聴いた名曲を噛み締め、自分なりに咀嚼し、史郎を励まし、
ひいては仲間全員の個性を大事にした曲として昇華していたら?
この経験が交響曲に結びついたんだな、裕一の生きてきた足跡が受賞につながったんだなと
視聴者はこころよく納得できたのではないだろうか。
AK(東京放送局)の最近の朝ドラは、主人公を上げるために他者を下げる演出が目につく。
善悪をハッキリさせることで分かりやすくはなるだろうが、
それだとプラマイゼロになりがち。
師となる大人がプラスを提示し、それに主人公がプラスを積み上げてこそ
主人公の成長と視聴者のカタルシスが描けるはず。
分かりやすさが物語をスポイルすることの証を
この先何ヶ月も(もしかしたら何年も)繰り返していくのかと思うと、
いろいろきついな。