サッカーの中田英寿選手は、グラウンドを俯瞰で見ながらプレーできたと言われる。
優れたプロフェッショナルとは、自分の仕事を俯瞰から客観視できる人を言うのかもしれない。
ドラマだって同じことで、
例えば「いだてん」における「美川」の扱いなんて、
視聴者が美川というキャラをどのように受け止め、愛するかを
クドカンはカンペキに予測・把握してストーリーに組み込んでいる。
脚本を書きながら視聴者の目線で登場人物や物語を眺めることは
なかなかできるものではないと思う。
前置きが長くなったけど、エールである。
私はエールを「分かりやすさを追求した朝ドラ」だと評してきたけれど、
視聴者目線でそれができているかと思うと、やっぱり頷けない。
今週のタイトルは「いばらの道」なのだが、
どこがいばらの道かさっぱり分からないという声が目立つ。
私が思うにその最大の原因は、
「銀行の養子になれば音楽はできない」と
誰の口からも断言されていないせいではなかろうか。
居眠りできるくらいヒマなら、銀行員やりながら作曲できるやん。
ダンスホールで楽団の演奏に関心ないのがおかしい。
接吻なんかより、ハーモニカで愛を告げないのか。
何より、なんで鉄男にあんなに責められないといけないのか。
どれもこれも、
「音楽を禁じられている」という状況設定があれば理解できるのでは?
言い換えれば、音楽が禁じられてこそ
銀行員生活が「いばらの道」になるのではないか?
たぶん想像するに、蓄音機を置いてきたことや
音楽学校に行けなくなったことを描写しているため、
制作サイドがそれで充分だと思い込んでいるせいでは?
あるいはもしや、銀行家の叔父が実は音楽が好きで
どんどんやればいいと言ってくれるとか。
主人公にすぐ救いの手を差し伸べるAK(NHK東京放送局)朝ドラだからそれもある。
だったら今週のエピはまるまる肩透かしなわけで、
それはそれで視聴者の気分をまったくくめてない証拠なんだけど。