1話見るごとに何かを考えるというより、最後まで見終わってみて、全体から何かを感じ取るような作品なのかな?と。個々の細かい事象や登場人物のゆらぎ、変化、願いは描かれているんだけれど、やはり意図的に描かないことで表現しようとしている何かがあるなぁ、なんて。そんなことを考えたり。
一つ。8話で少し複雑な気持ちになってしまったのは、かごめが言った、とわ子みたいな人が社長をしていることで小さな女の子に希望を与える(意訳)って言葉が、とわ子の生き方の重しになってしまっているような、そう取れる表現が少し悲しかった。とは言え本当にとわ子がそう思っていて、受け入れて、重しを取り除くのかは不明。まあ、それ...
1話見るごとに何かを考えるというより、最後まで見終わってみて、全体から何かを感じ取るような作品なのかな?と。個々の細かい事象や登場人物のゆらぎ、変化、願いは描かれているんだけれど、やはり意図的に描かないことで表現しようとしている何かがあるなぁ、なんて。そんなことを考えたり。
一つ。8話で少し複雑な気持ちになってしまったのは、かごめが言った、とわ子みたいな人が社長をしていることで小さな女の子に希望を与える(意訳)って言葉が、とわ子の生き方の重しになってしまっているような、そう取れる表現が少し悲しかった。とは言え本当にとわ子がそう思っていて、受け入れて、重しを取り除くのかは不明。まあ、それを言葉にした小鳥遊自身「いや、それはあなたもだよ」って感じではあったし。
生きていると、なかなか人生の答えみたいなものにはたどり着かない。たどり着かないし、答えがあるのか分からない。例えあったとしても一つだとも思わない。でも「答えがあるのかもしれない」とぐるぐる考え、あっちにふらり、こっちにふらりとしながら、ただただ幸福を求めていることがある。1話で「私は幸せになることを諦めない」と言ったとわ子が求めるものは、本当に異性のパートナーを得ることなのか?まだよく分からない。
このドラマはやっぱり、今、この一時を一緒に生きているような、そんなドラマだなと思った。