古舘ルパンと次元滝藤(完成度高過ぎ)を、今までで一番のお遊び回や〜ん💓(寅さんにはちょっとムリあるで〜💓)とホクホク見てたら最後にすんごいブッ込みが来てのけぞった。
さっちゃん。
そうなのか。
ということは、残りの回はいよいよこの古滝家を中心にディープな展開になっていく訳ですね。楽しみです。
振り返ってみると、このドラマには “何かが起こる!”“そして誰かの人生が動く!”みたいな所謂ドラマティック要素って本当に少なくて、
ものごとは既に起こっていて、
人々は既にそこに生きていて、
画面のコッチ側の私たちだけがその内に在る現実を知らなくて。
事件...
古舘ルパンと次元滝藤(完成度高過ぎ)を、今までで一番のお遊び回や〜ん💓(寅さんにはちょっとムリあるで〜💓)とホクホク見てたら最後にすんごいブッ込みが来てのけぞった。
さっちゃん。
そうなのか。
ということは、残りの回はいよいよこの古滝家を中心にディープな展開になっていく訳ですね。楽しみです。
振り返ってみると、このドラマには “何かが起こる!”“そして誰かの人生が動く!”みたいな所謂ドラマティック要素って本当に少なくて、
ものごとは既に起こっていて、
人々は既にそこに生きていて、
画面のコッチ側の私たちだけがその内に在る現実を知らなくて。
事件が起こり視聴者がその中に生きる人々の世界を時系列に俯瞰して見ているという、いわゆるフツーのドラマ進行と違って、
はじめからそこに在るものと その在り方が、薄皮をピロ〜ンと剥ぐように1話40分(実質30分ちょっと)かけて少しずつ顕わになっていく感じ…私たちは画面のコチラ側でボーッとしてるうちに剥げた薄皮の内側が見えてきて、認知して、あっ、そうやったんや、なんかゴメンね…って、なんかそんな感覚のドラマ進行なのだ。見ている側が神様視点じゃないのだ。
ある場面だけ切り取って見たら傍若無人で視野狭窄そうなキャリアウーマンとか何も知らなさそうな可哀想な新婦とか意識高げなタワマンおハイソ銀行マンに “見えていた” 人々が、最後には全てから解放された脱走者となり無敵の母となり古い優越感に生かされてるショボいオヤジとなり、そしてまた画面の向こうに消えていく。
レンタル兄弟は、初対面の時よりちょっと違った視線で、薄皮の剥けた、でも何が変わったわけでもない彼らをただただ見送る…
そんな感じ?
兄弟は何も否定しないし肯定もしない。彼らの人生に大した影響も及ぼさない。全部が全部、あるがまま。
でも、だからこそそうやってチラリと見えてくる温かさとか愛おしさとか、この物語世界の中にはそういうものが溢れている。
ええよ〜、ええね〜、で、ニヤリと笑ってまた来週。野木さん脚本の新しい一面だなぁと思う。
今週は珍しく兄弟がアクティブだなあと思って見ていたら、最後はやっぱりああいうオチで。
オマケのように告げられた衝撃の事実の回収がどういう形になるのか…残る回も正座待機!だ。
そういや、今期はやたら似た設定カブりのドラマが多くて頭の整理が大変だったんだが、コタキだけは親父が殺人犯とか週刊誌編集部が舞台とかそういうのと無縁に気楽に観れると思ってたら、
まさかのお父ちゃんが小林薫カブりでしたね…ぴえん。
あと、これまでどっちかって言うとヘタレなボスだったクドカンの村田さんが “お仕事出来るカッコいい大人” になってた点では嬉しくて貴重な回でした。
役者・クドカン、好っきやねん。