優しすぎて毎回涙出た。
そもそも僕らは(誰とも違う1人の人として)奇跡でできているんだからその奇跡を大事にしよう。
普通に押し潰されずに誰かと違う自分を前向きに捉えて、受け入れてあげて、自分らしさを大事にして日常を楽しみ、自己肯定感を養い、個を認め合うことの大切さが詰まったドラマ。
そんなことを思えなかった主人公の過去のできごとや今そんな風に思えていない人たちが丁寧に描かれていて、それぞれの問題を露わにしながら、徐々に救いの手を差し伸ばしていく展開がとてもよかった。
物語の捉え方は人それぞれ。どの物語が刺さるかも人それぞれ。
個人の生き方や考え方は違うのに、そこに正解を求めること、自分本位の正解を押しつけることはナンセンスである。
答えを求めようとしすぎない。
そもそも今の時代、確固たる答えなんてほぼないに等しい事象が多々ある。
自分の考えや世界観を持ちながら、他の人のそれらも受け入れて、自分の世界観を更新、確立していく。
それが楽しい人生を歩む第一歩である。
また序盤の方で付き合うこと、好きになることを拒むことの変数に「他の人と比べて変わっていること」が入るのが、極めて日本的で残念な風潮だなと感じた。
こういうのを部分部分に散りばめてくる脚本が秀逸で、純粋な子供との対比で、より大人へそういう思考についての問題提起をしてくる。
好きなことを突き詰めようとすると逃げてると言われる。
みんなと同じじゃなきゃいけないってのはいわば呪いで、それを強要されることはしんどい。
誰かからこう思われるから、みたいなレッテルが本当にしたいことをできなくする。
そんな社会の縮図…実は思い込みだったりする。
生きている人生も環境も見るものもすることも全て違うのに、誰もが同じように興味を持つわけがない。
自分が生きること、存在することに他者(家族ですらも)からの承認なんて必要ない。
これは考えてみると当たり前なんだけど、その考えを知ったときは目から鱗だった。
それだけ他者から見た自分にいつのまにか依存しちゃってる。
「誰もができることができるのはすごいことじゃないんですか」って言葉で、多くの人が救われたと思う。
もっとできることに目を向けていいんだって。
こうしなきゃって自分をいじめ続ける生活はやっぱりしんどいもんね。
そういうのを認め合える人間関係があるのっていいなーと。
また、虹一くんが母のすごいところを100個言ったシーン本当によかった。
自分の好きなことややりたいことから遠ざけようとする母は、虹一くんにとっては理解できないはずなのに、それでもすごいことをたくさん言える。
純粋にそう思えてそれを伝えられることがどれだけ尊いことか…それがすごい伝わってきた。
8話には一つのネグレクトが起こる背景が描かれていた。
みんなができることができないことでこんなに苦しくて辛いなら、いっそのこと開き直れたらいいのに。
そういう人たちはどうやって生きていけばいいんだろう。
答えなんてないのにわかってくれる人がいないとずっと堂々巡りなのは、本当にしんどい。
人が生きていく上で必要な学びって、必ずしも今のような形で統制されないとできないもんなのかな…
9話。
その人がどんな立場であれその人はその人以外の何者でもない。
犬がネコ科であってもその動物はその動物として存在する。他の何者でもない。
比喩的に山田さんの存在を母でも家政婦でもなく、山田さんとして受け入れる展開に涙。
その人はその人として存在してる。ただそれだけ。
さらに、他者への羨ましさは知らぬ間に嫉妬に変わり、その人を否定する行動や言動に繋がる。
でもそれってその人がいちいち口を挟むことじゃなくて、勝手に比較してその人の視点で攻撃してるだけ。
結局自分と向き合わないと他者を攻撃し続ける人生が待ってる。
それは悲しいし何の解決にもならない。
やりたいことを見つけるのとやりたいことで生きるのが難しいのはわかる。
でもそういう生き方が受け入れられないのは違うよなーと思った。
そして最終回。
自分らしく生きることにおいての風当たりの辛さを光として前向きに受け入れる相河先生。
人は弱い生き物で自分と向き合って変えることはできるだけ避けたがる。
誰かのせいにしておけば自分と向き合わなくても、自分を変えなくても、自分の限界を知らなくて済む。
それに気づいて一歩前に進む樫野木先生とそれを確かに変えた相河先生のかけあいに感動。
フィールドワークってめっちゃいいなー。
僕らは関わったもの全てでてきている。
関わったもの全てが奇跡で、僕らは奇跡でできている。
もう本当に素敵すぎる。
この作品は登場人物誰もに寄り添えるし、どこかしらに共感させられるし、心動かされる。
誰も否定しない優しすぎる世界がそこには広がっていた。涙が止まらない。
P.S.
高橋一生史上ベストアクトな作品。
カルテットの家森さんを超えました。