見たことないくらい静謐で、たっぷりと豊かな時間が流れる、最高に贅沢な最終回。
ついにスカーレットが終わってしまった。
前回のレビューで「普通の連続ドラマなら最終週をある意味おいしく美しく盛り上げてくれるであろう『主要人物の死』を、水橋脚本&中島演出は全くそういう悲劇的なクライマックスとして描こうとしていない。きっとこのまま淡々といくんじゃないか」的な予測をしていたら、本当にその通りの最終回になった。
喜美ちゃんと武志はいつもの工房で親子ふたり、ゆったりと土に向き合い、幸せなハグでけらけらと笑う。その後カメラは誰もいない縁側へ。そして淡々の極致、まさかの「ナレ死」で武志は逝ってしまった。
大崎先生は武志を看取ったその両手でシュッとしたクールな皿(?)を作り、ハチさんと喜美ちゃんが縁側で蜜柑を剥きながら“また話そうな”の約束を交わし、穴窯は火入れされ、また新しい作品を生む。
繰り返される日常。
窯と対峙する喜美ちゃんの、変わらぬ燃える瞳を映したまま、物語は終わりを迎えた。
最後の一週、
ともすればご都合主義的に登場人物を整理し、未来を指し示して、“良かった良かった!”“この先安泰!”な大団円になりがちな朝ドラの最終局面。ここまで“何も起こさない”朝ドラ最終週もかつてなかったのではないだろうか。
勝手にこの物語の一つの軸になるのではと踏んでいた、モデル・神山清子さんの骨髄バンク設立エピソード(ちや子さんの再登場で実はちょっと期待したんっスよ…)を気持ちの良いくらいバッサリとすっ飛ばし、
武志の未来に安易な救済策を与えず、
その上で信楽の町に流れる普通の時間、親子が並んで土を捏ねるいつもの風景をたっぷり淡々と見せてくれた構成には、作り手側の強い信念とメッセージを感じた。
脚本も演出も音楽もお芝居も、皆お涙頂戴の盛り上がりに訴えたいわけじゃないんだよね。
スカーレットの制作陣は本当に根性が座っていると思う。怯まない。ブレない。
人はどう迷い、どう生きていくか。どうにも抗えない大きな壁の前で何を信じ、どう大事にしていくか。
しつこいくらいその意味を問いかけてきた物語にふさわしく、リアルに淡々と、でもこれ以上なく優しく人間の営みを描いてみせた、本当に贅沢な最終回だったと思う。
個人的に恐れていたロス感は全くなく(そういえばハマりにハマった私的熱愛ドラマ・おっさんずラブの時もそうだった…)、本当にいいドラマって、終わりを迎えてもロスにはならないもんなんだなあ、信楽行ったらまだサニーでホットケーキ食べられそうだもんなぁ、などと考えながら、気が付くとボーッとチコちゃんを眺めていた。
ここ数年、習慣的に朝ドラはずっと見てきたけれど、ただの1回も見逃すことなく半年間全ての放送を完走したのはスカーレットが初めてだ。
もともとは林遣都くん目当て、“祝・朝ドラ出演!”というノリから入ったこのドラマに、まさかここまでハマるとは自分でも思っていなかったので、逆に信作よ ありがトウッ!くらいの気持ちである。
ネット上では、よくわかっていないのであろう一部コピペ記者の皆さんに“地味”扱いされていた本作だが、こういうチャレンジングで骨太なドラマがもっと増えてくれば日本のテレビもまだまだ面白くなるのになぁと思った次第。
えねっちけぇにはこれから先の各種ドラマ制作にも是非ブイブイがんばっていただきたいと願うばかりである。
とりま、お見事でした。
好きちゃうわ!大好きや!スカーレット!