これは、むかしむかしの物語ではない。今から25年前、1995年1月17日に阪神淡路大震災は起きた。
第一話で精神科医になった安は、避難所で被災者たちの心のケアに回る。しかし、現場で患者を救う医師たちとは違い、被災者と話すことしか出来ない精神科医の存在意義を見出せずにいた。「心のケアってどんなことするんです?」被災者に尋ねられても、安は真っすぐに答えることが出来ない。仲間たちと試行錯誤していく日々の中で、安の声色が明るさを帯びてきたのは、物語の折り返し地点が見えた頃だった。大震災は耐え難いダメージを人々に与え、従来の医療では例がない心の傷を負った人々がいる。安は新聞のコラムを通して、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の存在を訴え掛けたのだ。
私にも阪神淡路大震災の記憶が少しある。四半世紀前、と聞くと遠い昔のように思うけど、自分が生まれた後の出来事だと思うと、不思議と昔話のようには思えない。しかし第二話で描かれた1995年の日本は、今とはまるで違う姿だった。被災者は医療従事者に不平不満をぶつけ、精神科医に診てもらうのは“特殊な人”だけだと拒絶する。妻・和子が大阪の人から言われた「神戸の人はバチが当たったと思うんよ」は、フィクションとは思えない生々しい響きだった。
今回で特に印象的だったのが、安と男の子が二人で給水用のタンクを運ぶシーンだ。精神科医としての道筋がはっきりと見えた安は、強がっている男の子に「弱いってええことやで」と微笑みながら諭す。男の子と寄り添いながら歩く後ろ姿は、忘れられない光景になった。悲しみも不安も消えてなくなることはない。しかし、安の心にあったモヤが晴れていくように、避難所にも光が差し込んでいった。
『心の傷を癒すということ』が描くのは、むかしむかしの物語ではないし、おとぎ話でもない。間違いなく、今期いや2020年を代表する一作になると思う。安和隆ならびに安克昌が歩いてきた足跡を、たしかに感じる第二話だった。