我々にとって、最も身近な題材とはなんだろう? 食べること、寝ること、働くこと……いや、もっと根源的なものは「生きること」だ。
『過保護のカホコ』チームが再結集した『同期のサクラ』は、単なるお仕事ドラマを超えて、自分らしく生きること、自分だけの色や輝きを認識し、「自己肯定」することの大切さを教えてくれる。
真っ直ぐにしか生きられない主人公・北野桜(高畑充希)の言葉を借りるなら、みんながこの社会を動かす「仲間」であること。彼女の正直なエールは、ドラマの中から飛び出して、観ている私達の胸に100%の純度で届く。
本作の大きな面白さは、「1話で1年」という斬新な設定が敷かれていること。大手建設会社に新卒で入社した同期の5人が、10年かけて成長していくさまを全10話で描く。
それだけでもかなり観やすいのだが、「主人公が脳挫傷で入院し、意識が戻らないかもしれない」という現在からの回想形式をミックスし、各話をぶつ切りにさせない。
連続ドラマの魅力は、回を追うごとに視聴者がキャラクターに愛情を抱いていくことだが、本作では「桜を好きになればなるほど、彼女の運命が気になる」仕掛けがなされており、視聴者が観続ける原動力となっている。桜の一度見たら忘れられない「無表情だけど熱い」キャラ設定含め、視聴者の心理をぐっと掴むフォーマットのうまさも絶妙だ。
キャラ設定についてもう少し語ると、主人公のクセを強めれば強めるほど、劇的になりすぎて視聴者との乖離が生じてしまうが、桜と同期の4人をナチュラルな人格・テイストにすることでバランスを整えている点も見事。橋本愛、新田真剣佑、竜星涼、岡山天音といった演技力に秀でた若手を揃え、橋渡し役を担わせている。
例えば『わたし、定時で帰ります。』はできる限りそれぞれのキャラ付けを一般人化させた「働く人に寄り添う」ドラマだった。敵役として鬼上司を置きつつ、彼のドラマも描いて「人」として見せる。
『同期のサクラ』はもう少しエンタメ=劇的に寄せつつ、『花咲舞が黙ってない』のような「物申す」系のエッセンスを足しつつ、主人公に「感情表現が苦手」「不器用」「挫折」「両親が亡くなった」と試練を多く与え、「それでも本質を見失わない」美徳を描いていく。
つまり、カリスマに引っ張られて周囲が変わっていく構造ではなく、「能力は低くても、高潔な人」の姿勢によって周囲が「気づき」を得るつくりなのだ。だからこそ、本作には嫌味がない。主人公がどこまでもひたむきだからだ。
『同期のサクラ』は「生き方」を描くドラマであり、「生きざま」に共感する作品。
大切なのはどう働くかではなく、どう生きるか。その上で目の前の仕事をどう捉えるか。
納得できるまで実践し続ける桜は「意識が高い」のではなく、「真面目にコツコツやる」タイプ。もちろん柔軟性は低いし、特異に見えるかもしれない。でも彼女の主張はいつも正しく、私たちが心の底で思っていることでもある。
本質を突いているからこそ、桜の言葉は心に響くのだろう。この作品がどんな軌跡を描き、「10年後」に向かうのか。楽しみに待ちたい。