原作を好きであればあるほど、映像化を認めたくない気持ちがわくもの。ただこのドラマにおいては、「原作を好きであればあるほど愛着が増す」現象が起こるような気がしてならない。
もちろんドラマ単体としてもクオリティが抜群に高いのだが、画面から立ち上る「原作愛」が半端ではないのだ。
まず、オープニングから。ケンジ(内野聖陽)がスマホでシロさん(西島秀俊)を撮っているという設定なのだが、可愛さが爆発している。
この1分少々の映像だけで、作品が持つほっこり感、愛情、2人の関係性、登場する料理等々、全てが伝わってくる。原作ファンの多くが、これを観たときに安堵したのではないだろうか。「素晴らしい実写化だ」と。
元々、『きのう何食べた?』は、人情ものだ。毎話ホロリとするエピソードと美味しい料理が登場し、お腹も心も満たしてくれる作品である。
ドラマ化に際して驚かされたのは、全く違う巻に収録されているエピソードをミックスさせ、一つの物語にしているということ。このあたり、原作を相当読み込んでいないと構成することができない。『失恋ショコラティエ』『透明なゆりかご』の脚本家、安達奈緒子の手腕が素晴らしいと言わざるを得ない。
特に力を入れて描かれているのが、シロさんとケンジの関係の変遷。中年のゲイの悲哀が原作のドラマ面の核だが、ドラマ版ではより暖かく、優しく描いている。
例えば、シロさんの実家に挨拶に行ったケンジが、帰り道に「もう死んでもいい」と涙し、2人が抱き合うシーン。原作ではこの後に小さな「横ヤリ」が入るほろ苦い展開があるのだが、ドラマ版では場所の設定、アングル、演技に至るまで存分に盛り上げ、実に「泣ける」味付けに変更されている。
ケンジとシロさんの配役にしても、非常に愛を感じるキャスティングだ。西島秀俊は外見から割とぴったりだが、注目すべきは内野聖陽。『仁』の坂本龍馬や、『臨場』など泥くさい「ザ・男」な役のイメージが強い彼が、真逆にあるケンジにハマるのか?という懸念は、内野の見事なまでの演技力によって吹き飛ばされる。
感情を素直に放出するケンジのキャラクターが、内野のエネルギッシュな熱演にピタリとハマり、原作以上に「生きた」人間に深化している。前出のシーン然り、ケンジが号泣するシーンに涙腺が崩壊した方も多いことだろう。
ずっと観ていたいほど愛おしいドラマへと仕上げた、製作陣の「愛情」に敬意を表したい。
ちなみにお正月には新作エピソードが放送されるとのことで、今から楽しみだ。