スカーレット強火担として、朝ドラ終了後いつかはと夢見ていた 推し役者・林遣都と水橋文美江脚本の超豪華カップリング。
こんなにも早く、しかも主演。
その上(3人いるけど)一人芝居。
更に演出は今年の正月ドラマスペシャル『教場』の中江功氏(個人的には『Dr.コトー』の 温かい中にも緊迫感のある、メリハリの効いた演出が大好き)と来た。
第一報が入ってきた時から 期待するな!そこで阿波踊り踊るな!ってぇのがそもそもムリゲーな企画だった。
これあんまりハードル上げ過ぎたらあとで凹むのにな…とセルフ突っ込みしながら、夜も熟睡出来ないくらいのハイテンションで臨んだTVの前。
フタを開けてみたらば、ハードルなんかどこにもなかった。
圧巻。
圧倒。
これまで見たことのない新しい映像世界が、
物語が、
そして林遣都が、
そこには存在した。
ドラマの始まった23時ジャスト、「じゃ、俺寝るわ」といつものペースでリビングを出て行きかけた夫は、開始から3分、ドアノブ握ったまま画面を凝視していたかと思ったら、「…これは見らないかんヤツやな」と呟いてソファに座り直した。そして呻いた。
「すげぇ…」。
商事会社勤務・望月勇人、会計士・望月泰斗、茨城在住の農園経営・望月三雄。
林遣都が演じる一卵性の三つ子である。
本当に、あまりに凄すぎた。
長兄は端正で実直。饒舌で気分屋の次男。
屈託なく無垢な末弟は笑顔にも温度がある。
当初この作品の情報が入ってきた時、「ビジュアルがどう描き分けられるのか」の予想でファン界隈は盛り上がった。
“一人は絶対メガネだよね”
“ヒゲ遣都あるよねきっと!”
ところがフタを開けてみれば違うのは髪の分け目程度。メガネもなければヒゲもない。
三つ子ものなら当然とってくるだろうと予想された「ビジュアルで仕分ける」という手法を、制作サイドはアッサリ放棄したのだ。
ビジュアルが公開された時、私はこれは凄い覚悟だなと思い、実は少し心配もした。
だが、
舞台となるリビングに兄弟が揃った時、
その心配はムダな杞憂となった。
そこには間違いなく“3人”がいた。
その演じ分けたるやこれぞ“圧巻”である。
『普段ならこの感情を表すのに必ず口角が歪むんだよね、遣都くん』という場面で、お調子者の次男の唇はまさにいつも以上に歪みまくっていた。感情を隠さない開けっ広げな次男。思ったことがすぐ表情に出る次男。
でも同じ感情の表現なのに、そして同じ顔の三つ子なのに、長男の口は歪まない。佇まいも真っ直ぐ、不器用なまでに実直な兄の口角は歪まないのである。
自分のその表情のクセを、俳優・林遣都がまさか意識しているとは思っていなかった私はビビった。
これまでこんなに“凄い役者だ”だの“不器用ながらも図抜けた演技派”だのエラそーに推しを語ってきた自分を恥じた。私はこんなに愛して舐め尽くすようにその演技を見守ってきた推しを甘く見ていたのである。
笑い方、食べ方、立ち姿、春日谷麺メン「バターらーめぇぇん!」の決めポーズとそのテンション…“見た目の作りが同じだけ”の全く別の3人の人物が、そこにはいた。
今回、この一卵性三つ子を自由自在に(本当は七転八倒だったのかもしらんけど!)演じ分けた推しは、これまで私が見てきた林遣都という俳優とは全く違う人間のように見えた。いや、おんなじなんだけど、なんと言えばいいのだろう、クラス?ステージ?役者として存在する次元?が違った。
思えばその兆候はあった。
スカーレットの放送が始まってしばらく、朝ドラの中の林遣都は私の想像以上にハジけた「信作」だった。
コメディも上手くなったね。
ファン同士の間では当初そんな会話が飛び交った。
そしてその後、冬の舞台で戦時下の19歳新兵という新しい役を観た時にも、以前に比べて“受ける演技”が格段に上手くなったね、と嬉しい変化を語り合ってはいた。
だが、今となればそれらの“進化”は予兆でしかなかった。
これまでだって充分「演技派」ではあったし「カメレオン俳優(筆者はこの表現が全く好きではありませんが)」などと呼ばれてはいたけれど、時に不格好に、時に不安定に、血ヘドを吐きながら試行錯誤、たまに一人で考え過ぎてそこを演出家に諭されるような第二形態・蒲田くんは、もうこのリビングには存在しなかった。
口から煉獄の炎、背中からレーザービームの乱れ打ち。BGMは鷲巣詩郎作曲『Who will know』。大聖歌隊の壮大な歌声を背景に、私は圧倒的火力で首都殲滅にかかるシンゴジラ第四形態・林遣都を、ただひたすらピルピル震えながら見つめていた。
ブラボー!林遣都!
やったぜ!林遣都!
いやホント、ファンなのにゴメン!
お見それいたしやした!である。
もはやあれこれ凄すぎて、一周回って一体アタシゃ今まで推しの何を見てきたんだと打ちのめされる思いすらする。
私には「不安定であるが故に目が離せない、不安定であるが故に雲の切れ間から覗くと眩しい」そんな林遣都の輝きを愛でたい向きの癖があった。
今後もうそれは叶わないのか。
スゲェぜ!林遣都!と叫び続ける人生。
それはそれでアルティメット人生。
受け入れて生きて行こう。
そしてこの演技に持ってきての水橋脚本、中江演出。
いや、この脚本演出あってのこの演技??
どちらがタマゴでどちらがニワトリかはわからない。そんなもんきっとご本人方にも分析は難しいのかもしれない。
でも、この演技とこの脚本、演出の三位一体攻撃が、滅多にお目にかかれるものではないレベルの、奇跡のコラボレーションだということはきっと間違い無いのではなかろうか。
善悪二極には決して分けられない、
それぞれの愛おしい人生。
ウィットと慈愛に満ち、
流れるように進む会話の応酬は
水橋脚本の真骨頂だ。
次男に「ここだけの話」を語らせてくれたくだりなどはとても水橋さんらしい表現だと思ったし、正直、とても嬉しかった。
水橋さん、
ともすれば誤解を招きかねないこの次男のセリフを、敢えて「ここだけ!」「言わせて!」と断りを入れてまで林遣都に言わせてくれて、ありがとうございます。
このセリフは本当に大切な一言だったし、
これが今このドラマをやる意味だったな、と嬉しく思いました。
それからそれから、
何一つ不自然さがなく、テンポよく切り替わる場面。アングル。ここは演出の妙。
そして技術力!
短い時間の中にパラパラきらきらと散りばめられ、回収される度にクスっときたり切なかったり愛おしさにキュンときたりする小さな伏線の数々は次第に繋がり、ラスト、長兄の長ゼリフに集約される。
兄弟それぞれの昂りと涙が、私たちが直面した“映画のような”新しい日常とその功罪を明らかにした時、そこに小さな希望を見せて物語は終わる。
中江演出の緻密さと巧みさも凄いが、
私は何より水橋脚本と推しの演技の相性がここまで良かったことに、痺れるほど感動した。
シンゴジラが暴れまくったあとの廃墟・霞ヶ関に、スカーレットで半年かけて描かれた“それでも生きていくんだ感”が(こんな短いドラマであるにもかかわらず)ちゃんと詰まっていたことに、驚きと喜びを禁じ得なかった。
そしてそれを表現し尽くし、この小さな物語をこれほどまで深く味わいのあるものとして存在たらしめたのが、他でもない我が推しの演技であるという誇らしさ!
「(会話劇は)描くにおいて、登場人物を愛すること。俳優さんを信頼し、愛し敬うこと。そうすると、何を書いていても楽しいです。今回もそうでした。」と語られていた水橋さん。
前作を通じて結ばれたこの2者の信頼関係と愛情は一体どれほど深く堅固だったんだろうと、今更スカーレットに想いを致す。
結果として、
「それぞれの役の立ち方、声、話し方、ほとんど本人のアイデアです。…実は器用なのに不器用に見える、本当に魅力的な役者です」
そして、「1人3役というのはオマケみたいなもの」とまで演出家が言い切ったとおり、稀に見る秀作ドラマとなった今作。
この奇跡の座組で是非また役者・林遣都の新しい演技が見てみたいと願わずにいられない。
てか、ほんっと面白かった!!!!!