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おっさんずラブ 1話〜7話のあらすじ、放送時間、出演者、脚本家、主題歌、原作、おっさんずラブが見られる動画配信サイトの情報を掲載。 おっさんずラブの口コミ(口コミ)・感想・評価を投稿する事ができます。
4.3
(234件の口コミ)
出演者 4.3
ストーリー 4.2
演技 4.4
映像 4.2
(234件の口コミ)
テレビ朝日系
初回: 2018年04月21日
最終回: 2018年06月02日
テレビ朝日系 土 23:15-00:05

口コミ

3.5
出演者 -.-
ストーリー -.-
演技 -.-
映像 -.-
おっさんずラブ

「劇場版おっさんずラブ~LOVE or DEAD~」という映画がありまして。
ちょうど今から1年前、夏休みもボチボチ終了というタイミングで公開された映画としては、興収25億円超えというなかなかの成績を収めた一品でございます。
レビューページということで一応簡単に解説を添えておきますと、
そもそもは2018年春に放送され、爆発的な人気となった「おっさんずラブ」という深夜ドラマからスタートしたこの作品※、連ドラ放送終了後も冷めやらぬ熱で続編希望の声が渦巻く中(私なんぞも喉が潰れる勢いで叫びまくっていた部類のニンゲンで)、これを受けてついに2019年夏に公開されたのが、主人公・春田創一と彼の恋人・牧凌太のその後を描いたこの「LOVE or DEAD(通称・ラブデ)」、という流れだったんですね。
(※=2016年末にパイロット版的単発ドラマあり…2018年版2話までがおおよそこれとリンクした作りになっています。こちらも後輩ポジションの落合モトキ君はじめなかなか魅力的な作品なので、ご興味あれば是非)

てなわけで。
今回は、こちらがTVドラマサイトであるということは重々承知の上、TVシリーズを受けての完結(いまんとこ)編として公開されてからちょうど1年というこのタイミングに、これまでなかなか言葉に出来なかったこちらの劇場版について敢えて駄文を連ねさせていただきたいと存じます。ええ、長いです。

劇場版の制作が発表されたのは忘れもしない2018年12月7日金曜日の早朝。
前日6日が林遣都氏(=牧くん)のバースデーということで大賑わいしていたTwitter沼のほとり、一部の民が翌日朝のワイドショー出演者告知欄に“田中圭”の文字を見つけたことで、さわさわと静かに、だがしかしクソデカい期待を以って待たれていたそのニュースは、朝4時台に発売開始のスポーツ新聞から青い鳥を介して絶叫渦巻く大歓喜の輪となり全国に伝播しました。
真冬の早朝4時、パジャマの上にコート引っ被って最寄りのコンビニに爆走した私は、まだ前日の新聞が並ぶコンビニ入口で店番のおじさんに “なに?競馬の結果?”とニヤニヤ聞かれても満面の笑みで“そうですそうですええそうです!”と答えられるほど、その朝の世界は愛と希望と歓喜に満ち溢れていました。

そして手にした新聞各紙(勿論全紙買い)。
出た!
キタ!
やったバイみんな!!!
12月、まだ夜も明けぬ暗い朝、暖房の効いたリビングまでの距離を待ちきれずチリチリ凍るような寒さの玄関で広げた紙面に現れたのは、いつもの青いスーツ、いつものレジメンタル、そしていつもの笑い皺・オブ・ザ・人たらし。
まぎれもない、そこにいたのはあの満面の笑みで薬玉を割る “はるたん” でした。

「祝・おっさんずラブ・映画化だお♡」

号泣です。

ローンチは7日、でもそのための記者会見が6日に開かれていたという事実もまた、偶然なのか意図的なのかは別として、牧くん恋しやホーヤレホー状態だった私の “公式アリガトウ!” モードに油を注ぎました。
遣都くんの誕生日。史上最強で最セツナ、そして最チワワなスパダリ・牧凌太をこの世に生み出した名優・林遣都の生誕祭まさにその日に、史上最キュートにして最ポンコツ、最ギャップ萌えで大ブレイクしたはるたん=春田創一こと、最愛の座長・田中圭の手によって、このコンビ帰還の報が世に放たれたワケです。激アツです。

ちなみにですが。
連ドラの7話(最終回)前、民の中では 「“はるたん”は部長からに限られた呼び名。牧くんは“はるたさん”呼びだし、部長のものにはなって欲しくないし、その呼び名を春田創一の公称として広く使うのは…」ということで、はるたん呼びを良しとしない気運がありました。それは本当にその通りで、自分もホントやん!と目からウロコな気持ちが湧いたのは事実です。それでもふと思うに、ドラマの始まりからこっち、私が見て可愛いな!と思えた春田創一の多くの姿は、まず部長のスマホ待ち受けにいた“もぐもぐはるたん”であり、部長のデスクトップフォルダの中の“ぽんこつはるたん”であり、そして部長の過去10年に喃々とする思い出の中で一生懸命に働く“きらきらはるたん”だったこと。そして私自身、その部長の目を通して見える春田創一をとても魅力的に感じていたこと。これは全く否定出来ない事実でした。もとより私は「おっさんずラブ」の「おっさん」は主に黒澤武蔵を指しているものだと認識しており(←春田創一&武川政宗をおっさんと呼びたくないマン。異論反論オブジェクション可。)、彼の“はるたん”への溢れる愛がそもそもこの物語の源泉であるという自らの認識を、全く払拭できずにおりました。なので、牧くんはきっとその呼び名イヤだろうな…知ってる!ゴメンね!…という断腸の思いも内包しつつ、個人的には敢えて終始、今日に至るまで“はるたん”呼びを使わせていただいていることに、ここでちょっとだけ触れておきたいと思います。(何のお知らせ)

閑話休題。
(まどろっこしいですね。すみません)

さて。ここからはもう一気呵成。
年が明け、ゲスト出演ふたりの後ろ姿公開で「誰だ!?」「恋敵の登場!?」、エキストラ募集で「参加できる!?」「浴衣推奨!? まさかの祭り囃子打ち上がる花火!?」と、時を追うごとにいや増す期待。浮かれ踊る民。
メインキャスト3人のスーツ、タキシード、浴衣姿が描かれたムビチケの発売、ドラマ一気見上映会、そして空前の「おっさんずフェス」が開催されるに至っては、全てのチケットが発売数分で売り切れるという、血みどろの対・転売ヤー闘争が各地で勃発、民の絶叫渦巻く阿鼻叫喚の戦いが日本全国で繰り広げられました。

この熱狂のさなか、実は私には、当時は自分でもそれほど大きな引っ掛かりと認識していない、ほんの小さなひとつの不安がありました。

「LOVE or DEAD」。
ラブコメ深夜ドラマからの劇場版としてはあまりにもハリウッド臭い、このサブタイトルです。

ん?
愛か死か?

……。

いや、まあ、まさかはるたん牧くんが死んでなくなる訳はなし。
スケール感の演出ね。
なんたって映画だもんね。
海外ロケもあるっぽいし、ここは吹っかけて盛り上げとかないとね!←

小さな不安には自らフタをして人生初のオタ活遠征(劇場版おっさんずラブ・東京“予習”展&テレ朝夏まつり)に出陣、初対面とはカケラも思えない民友さんとの熱く濃いオフ会や聖地巡礼等々、夢のように浮かれた夏に私は自らの身を投じておりました。

そしていよいよ迎えた公開初日。
初日舞台挨拶ライビュつきのチケットは初回・2回目ともにGET済みです。
わざわざ私の最寄り=田舎のイオンまで出掛けてきてくれた民友さんが2人…彼女たちと一緒に鑑賞するのは2回目のライビュとし、まずは朝イチの初回上映、ここは誰にも迷惑をかけないよう(もはや自分がどうなるか状況も予測できない心身状態)ひとりで天空不動産東京第二営業所との再会に臨みました。

さて。

本題はここからです。(ホントすみません)

どれだけ言葉を尽くしても全ては書き尽くせません。
そして、今日書いたことに対して、きっと明日にはまた “いや、やっぱなんか違う”と思ってしまう自分も想定済みです。
それを踏まえて、加えてここまでの紆余曲折と清濁も全て飲み込んだ上で、今日、この時点の自分が思い返す、あの日感じた「劇場版おっさんずラブ~LOVE or DEAD~」についてレビューします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まだ駐車場もスカスカの平日早朝、田舎のイオン。
朝イチの映画館というところからしてもう未体験ゾーン。
ムビチケ購入のため同じ入口に並んだ日のことを思い出す。
(ちなみに私は今回の劇場版制作が発表されるまで“ムビチケ”というものの存在を知らなかった。民友さんに教えてもらって初めて、「今の前売り券こんなんなんや!」ってなったレベルで世情に疎い人間である…この私をここまで動かしたOL、ほんと凄いよと改めて感慨深い。)

さて、生まれて初めてWEBで予約を済ませた映画館。チケットの発券が終わったらいよいよ入場である。
本当はここんところで劇場内グッズショップでのあれこれドタバタもあったのだが、もうそこまで書いてたら本当に一生この文章が終わらないので今回は割愛する。

案内された上映室はスクリーン1番。この劇場で一番広くて大きなスクリーンだ。
この日からの上映だから当たり前なのだが、同じ日に公開の「ロケット・マン」より大きい上映室が用意されていることに劇場側の意気込みを(勝手に)感じて、入場口ですでに泣きそうになる。切符モギリのお兄さんに向かって心の中で“信じてくれてありがとう!”と叫び(勢いで手を握らなくて良かったと心から思う)、通路の一番奥に位置するスクリーン1に向かった。
熱いものが胸に込み上げる。
この段階ですでにテンションは完全におかしくなっている。

そんな調子だから、劇場中央よりキモチ後ろめ、座席についた私はすでに脂汗ダラダラ状態である。
何にそんなに緊張しているのか、自分ではよくわからない。
とりあえず用意したタオルは2枚。
薄っぺらなハンカチが用を為さないだろうことは予想できた。
ハンドタオルを手に、フェイスタオルはバッグの中に、
どちらも吸水性バッチリのものを準備した。

そわそわさわさわ気分が落ち着かず、眼鏡拭きで何度も何度もメガネを拭いている間に照明が落ちた。
ふおおおおおおおお。
CMが始まる。
ハリウッド情報、近作特報。
おなじみ映画泥棒くんが登場する頃には、自分で自分の鼓動が聞こえるほど神経が昂ぶり、身体が強張るのを感じた。
意味もなくそわそわと足元のバッグを置きなおす。
バッグに提げたトラの巻アクキーがへらへら光った。
もう、動けない。

暗転。

最初に画面に現れたのは配給元「東宝」のロゴだ(当然)。
もうこの画面でまず最初の「ウッ」。
次に出てきた「60th・tv asahi 60th anniversary」、にっこり笑顔のゴーちゃん(テレ朝マスコット)に至ってはもう心の中で “ありがとうテレ朝!ありがとうゴーちゃん!” のサンバホイッスル大乱舞である。

そして!
いよいよ!

画面に映ったなんだかナゾの龍をバクバク波打つ鼓動でやり過ごし、
次に浮かびあがったのは雑踏の中に揺れる人影…

!!!!!!!

はるたんだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!

うわあああああああ!

ケイタナカじゃないぞ!(←こっからもうすでに沸いてる)
はるたんだ!
待ってたよ!
すごいよ!
ひやキタ可愛い青スーツ!
えっあっなにポヨポヨまんじゅう買ってんだよくっそ相変わらず可愛いなンゴイッサ~イ?あっそれ一気見でステッカーもろたわ可愛いなまたホントに会えたよえっはるたんだよ可愛いなウッヒャアアアアアはるたんだああああああああああああああああああああああああ!

ついに。
本当に。
はるたんは帰ってきた。

猥雑な香港の雑踏の中、相変わらずの食いっぷりでモフモフ饅頭に食らいついているのは、まごうことなきはるたん。私たちが見たことのない、7話、あのブラックアウト以来の新しいはるたんである。

溢れる涙を拭くよりもまず、漏れる呻き声を抑えるため、ハンドタオルは私の口に突っ込まれた。

指輪!?
えっマジそんな気楽にダイヤ?フォエバラアアアブ?ヲイ可愛いな?は?買っちゃうの?えっ?可愛いな?ポンコツが偽物買わされて?牧くん怒ってひと騒動とか?そゆドタバタ?あ?いやそこ置いちゃう?可愛いな?いやいやいやいや鉄板やろそのバイク出走!ぅヲヲヲヲヲヲヲぃい!!

だがしかし。

テンポ。

路地裏に駆け込むはるたん。
そこではじまるカンフー。

そのテンポ。

何かふわっとしたモヤが私の目を掠めた。

んんん?

テンポ。

流れが止まった。
あ、ここでそんな時間食うんだ?
え~~~と。
おお、さすがの身体能力。
はるたんカッコいいな。
あ?まだやる?
え~~~と。

テンポ。

この瞬間、私の脳内をひとつの映像がよぎった。

連ドラ版7話のフラッシュモブ。

愛して止まないおっさんずラブ全7話の中で、唯一私が画面に向かって「煩い!」とガチ切れた かのシーンである。
あの時私は、最終話渾身の大イベントとして金と時間とマンパワーが注ぎ込まれたのであろうあの饒舌でしつこくテンポの悪い求愛シーン(すんませんホントすんません)を、大御所ヒロイン・黒澤武蔵に向けて、制作サイドからの渾身の忖度プレゼントと解釈した(ヒネている。だがこれがあの魔の一週間のあと、7話放送開始からわずか数分後の出来事であることもどうか含み置いていただければ幸いである)。そして今またコレ、このカンフーシーンにその同じ匂いがする……。
これは…もしかしたら、見て!はるたん(=主演俳優・ケイタナカ)の身体能力!ホラ!カッコいい!まず最初の映画的見せ場だよ~ん的な演出…???
そういえば監督るとーちゃんは何よりも誰よりもとにかく圭くん大好きめろめろマンである…思い当たるフシは腐るほどある。

だがしかし。
ちょっとだけ(いやかなり)ひっかかりはしたものの、
ここまで待って、待って待って待ちぼうけて、なんなら長いこと迷っていた退職まで私に決意させてくれた(これはまた別の話)映画である。こんなところでヘタに自分の気分を落としたくない。
私は自分のモヤにまたフタをした。

考えない。

私はこの映画を最後まで、楽しく美味しく、骨の髄までしゃぶり尽くすんだ。

その後はるたんははるたんらしく、元気に一生懸命に、跳んで走って謎のおじいちゃんを助け、そしてやっとの体でフォーエバーラァァァァブを取り戻した。ああもうどうしてそんなに脚が長い田中圭いやさはるたん。
途中、坂道をビヨンビヨンと跳ねる指輪の描写に また えっ…?とはなったものの、考えない。瞬時にまたフタをした。

そして、いよいよである。

カツーーーンの足音。
見覚えのある肩幅とアゴ先(言い方)。
白いスーツケースを引き、薄暗い階段を上って現れたのは

ニーハオ。

まぎぐんだぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!

ああああああああああああああ!!!!!!!
可愛えええええええええ!!!!!!!

会いたかったよ~まきくんだよーーーーーケントハヤシじゃねーよー(デジャブ)うわこれこのスーツのシルエットまきくんだよナニはるたんメロメロじゃんナニそのまきまきまきまき愛してんじゃんメチャメチャまきくん愛してんじゃんウッヘエ新しいまぎぐんだあああああああ!!!!

ここで既に最初の決壊。
用意したハンドタオルはもうぐじゅぐじゅだ。

からの「何ですかあれ」。
「かっふぃいおあてぃい?」

とっとと部屋を後にする牧くん。
えっ、あっ、もう行っちゃうの?
まままでもそうだよね。
気持ちはわかる。それは良し。

だがしかし。
ここで私の胸がまたぐぅと詰まる。

絶叫ゴーホーーーーォォム!からのはるたん顔芸。

心にかぶせたフタが揺らぐ。
頭を抱え、目を剥き、カットを切り替えて執拗なまでの、渾身のドUP。
ほとんど全裸に近い状態の、渾身の顔芸。
えっ、それ要る?

確かに連ドラ時、話題になり好評も博したはるたんの顔芸。
うん。だって可愛かったもの。
私も大好きだったよ、顔芸。
だけどそれ、そのテンションで?…今要る???
フタの下から突き上げてくる疑問と戸惑いを私は必死に抑え込んだ。
考えない。

そこからのオープニングシーンはまた号泣である。
ドラマ全7話分の走馬灯。
死ぬほど会いたかった天空不動産東京第二営業所のマサムネ、マロ、マイマイ。
蝶子さん。
わんだほう鉄平兄、ちずちゃん。

うわ~~~~~~~!
おかえりいいい!
いや、ただいま~~!
よくわからない感情で滂沱の涙が溢れた。
始まってまだたった数分なのにもかかわらず、持っていたハンドタオルはもう用を為さないレベルだ。
やっぱり好き!すきすき大好き!
おかえりみんな!
会いたかったよ!!!!!
連ドラ終了から実に1年と2か月。
餓死寸前まで干からびた、辛く苦しい飢饉の日々が今、報われた。

そこからはもう本当に、いろんな意味で上へ下へのジェットコースター。

まずは

・志尊くん!ああ可愛い。
・「pretty…」いやアンタがプリティ!
・たっだいっまで~~~す!
・うわあ!ほんとに帰ってきたはるたん!
・おかえりなさ~い!マイマイ!もふもふマサムネ!
・仕事して~ってマロ!うぇええええい!
・ああ!天空不動産!第二営業所!!!
・そして部長!カッコいい!はるたんとのハグ、感無量!!!
・からのジャス!
・プリーズコールミー、ジャ~スティ~~ス!!
・CUTE!志尊くん!ホンマ出てくれてありがとう!
・マミ様、キタ~~~~!なにこれBGMカッコええ!!!
・か~ら~の~まきくううううううん!!!!

(一旦深呼吸)次!

・えっ?出社初日にわんだほう???
・いやちずちゃん登場うれしいけども
・家帰れよおまえ急いで帰れ
・あっ、キタ!ラタトゥイユ!祭りで食べたラタトゥイユ!
・は?そこでちゃんと話さないの?食べないのラタトゥイユ???

…書いてるだけでゼイゼイしてきた…
あとはもう怒涛の展開(主なとこだけ挙げます)。

・牧くん出来るオトコ!!ジーニアス!
・にしては発表内容ちゃっちいな…
・はあああ…この中に相互さんいっぱいいるんやでええなあ
・つか、ラピュータ計画ザツだな!?!?
・アグリ~~~~可愛い!コンビ感!出てる!イイ!
・お兄ちゃん…はるたんの気負いっぷり♡これ顔好き♡
・ジャス場面で流れるテーマ好き…河野さんの音楽、ほんと好き。
・うわ~はるたんがカラアゲ!真っ黒w!いじらしい!やればできるやん!
・でもメールそれやりすぎやで。
・お皿の描写…わかるけど…牧くんそれよりカラアゲ喜ばないの!?!?
・出てく?出てくの?は???
・まだゴハン1回も食べてないよ???一緒に食べてないよ??
・それそのカットソーIKKAで買ったのに!今着る!?出てくシーンで!?
・キタこれマミ様部長ぉ鼻相撲~~wwwww
・ぶちょーーーー!!
・え?マサムネどういう描写?????は?…ちょま…
・今が一番?生きてるって感じ…牧くん、上昇志向設定…?うん…ほお…
・成し遂げるってなんだよ!?うん、なんなんだよ!!
・いやん♡ふたりの帰り道♡
・ホラ!牧くん楽しみにしてんだよ花火!!!!!
・き~~~ん~~~ぴ~~~ら~~~~~~!!!!!
・ひぃああああああああああああああああ!!!!
・えっチューーするの!?あっしないの!?ぅえっふう!しないのね!!!
・大好きじゃん!ちゃんとお互い大好きじゃん!お手振り!!!
・部長復帰!からの、えっ…またその顔芸…ツライ……
・ゆで五郎、部長さすがの切り込み!カッコええ!
・なのにあっ…ぶちょー…それはパワハラ…
・手を出すの、トラウマやねん
(↑会議後牧くんドン!の場面で部長そんなんじゃねーよの悶々経験組)

まあ、とにかく上を下への感情大暴走。
まだまだ終盤クライマックスも迎えてないのに、心身既に疲労困憊ですよ。

そんなこんなの序盤中盤には、私が ああ、「おっさんずラブ」だ!これこれ、これだ!!!と最もテンション爆アガったシーンがふたつあった。
【サウナバトル】と【花火大会】である。

前者はコメディとしての「おっさんずラブ」、そのチームワークとクリエイティビティの高さ、そして演者それぞれの圧倒的な技量を有無を言わさず見せつけられたシーン。
こんなシーンがあるということは事前の番宣で知っていた。それなのに。
怒涛のスピード感の中、セリフのひとことひとことにワクワクが抑えきれない。挙動のひとつひとつがツボにハマる。うわ~牧くん!ぶちょーらくしょ~!腹筋がよじれるほど笑った。涙流して笑った。コイツら(失礼)スゲエと思った。最高だった。

そして後者。桜咲く花火大会。
これぞこの「おっさんずラブ」が社会現象とまで呼ばれ、ここまでの熱狂を生み出した最たる要素を凝縮した場面だった。人を愛する喜びや切なさをド直球に、だけどこれまでにないクオリティで繊細に描き出した、人間の物語としての「おっさんずラブ」。その真骨頂たるシーンだ。

まず、人混みを掻き分けて現れる牧くんからして神々しいまでの美しさである。

そこからのイチャイチャ。
ちゃんと恋人同士のふたり。

はるたんは牧くんが誰よりも一番大好きで、一緒にいたくて。オレの牧は何よりも花火よりもキレイで。大切にしたくて。
そして、あんなに人目を気にしていたはるたさんがこの人ゴミの中嬉しそうに手をつないでくれたことに一瞬驚く牧くん。本当に嬉しくて。牧くんの表情が輝く。それを見ているこちらの胸も詰まる。ああ、ちょっと具合が悪かったくらいでこの一瞬をないものにしなくて本当に良かった。浴衣着て来て本当に良かった。そんな牧くんが、そんな一瞬が、間違いなくそこには存在していた。
はるたんがうっとりと牧くんに見とれたあと、イチゴあめを持ち換えて手を繋ぐシーンに至っては、私の脳内に特大の花火がドッカーーーーンと打ち上った。無論10号玉である。
よかったね牧くん。
シアワセね牧くん。
狭い座席で身を捩る。最高だ。涙がとまらない。
なんならこのシーンだけでチケット代1800円取られてもいい。
ワタクシ一切文句は申しません。
今でもそれはそう思う。

そのあとの喧嘩も、勢いで出た別れの言葉も、そこに本物の感情があるから見ているこちらも呼吸が詰まるし、刃物で刺されたような痛みを感じる。はるたんも牧くんも他の人には絶対に向けない言葉と見せない表情で、全力で相手に向かい、傷つける。言っちゃいけない言葉の応酬。でもそんなことが出来るようになったんだねえ。本当に恋人同士なんだねえ。これを見られて良かった。苦しいけど、嬉しい。ありがとう。脳内カオス。でも真面目にそう思った。

逆に。

この序盤中盤ですっごくすっごく感情的にイヤだと思ったのは(良し悪しではなく個人的にえっ?ヤダ!と思ったのは)、牧くんが発したふたつのセリフ。

「結婚って、本気で言ってます?」
と、
「苦しい時に分かってもらえないってなると、この先一緒に暮らしていくビジョンが見えないっていうか…」

これである。

いやいやいやいやいやいやいやいや。

「飽くまでも個人の感じ方です」という大前提の上で申し上げますけども。
私はこれ、このふたつ、連ドラ版・牧凌太を全否定されたくらいの衝撃を受けたんですよ……血の気が引いたんですよ……それこそ胸を抉られるような、映画館の座席が一段スンっ!と落下したような感覚。
え?牧くんにこんなこと言わせんの?は???てな感覚である。

…言わないよね?あの牧くんは。
連ドラ全7話、たった280分と少しではあるけれど、私がそれこそ痩せる思いで(実際にメチャメチャ体重落ちた勢いで)その恋の行方を案じ続けた牧凌太が、こんなセリフを吐くはずがないし、吐いちゃいけない。吐いてほしくない。あの餅粥食った牧くんだよ?はるたんが揚げ物をする。その意味と価値を世界で一番知ってる人だよ??? 
1年経った今でこそこうして言葉をあてがい、文章にできるけれど、初見時、映画館の座席で目を丸くしていた私はただただ衝撃と切なみで脳味噌混沌状態。
これらのあとに件の花火のシーンがあったので、どうにかこうにか私の中での牧凌太像、その整合性を整えてクライマックスまでたどり着いたけれど、本当にこのふたつは衝撃というか…ストレートな表現で言えば、私にとって“悲しい”シーンだった。

プラス、
(炎のクライマックスを飛ばして)ついでにここで書いてしまうけれど、
これとは少し質が違うが、同じ系統の感覚で凄く凄くショックだったのが、何を隠そう、ラストシーンの最終カットだ。

青空の下、大好きな『春』のメロディが流れる。
屋上に立つふたり。
いつものわちゃわちゃ。
いや、いつもよりちょっと甘いわちゃわちゃ。
そやねん!これが見たかってん!!!
わたしには、それを確認するまでは、それをこの目で見るまでは死ねない最重要課題がある。
ドラマ版ラスト、ブラックアウトにより召し上げられたキス。
ついにドラマ中、一度もわたしたちの目に触れることのなかった“はるたさんからのキス”、それである。

期待度MAX、血圧カンスト。
そして、時は来た。

“創一”の手が伸びる。
“凌太”の頬にその手が優しく触れる。

ぅわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ !!!

頭の中の蕾が一斉に弾けて花びらが散る。

世界は愛とヨロコビと祝福に満ちている。

愛おしさと優しさに満ち満ちたキス!!!!!!

会場のあちこちに小さく“ひぁ!”の声が漏れる。(私の声か???)
おめでとうわたし!おめでとうみんな!!

だがしかし!

“創一”がぎゅっと“凌太”を抱きしめたあと、
ふたりが名残惜し気に体を離した、その次の瞬間だ!

うえっ?
ちょままままままままま!

こともあろうにふたりが別々の方向に、背中を向けて別れていく。

は!?どゆこと!?

これラストシーンよね
もう終わるよね!?!?!?

まてまてまてまて!

シンガポールはいい。
お互いお仕事頑張るのもいい。
なんか漠然としてるけど夢はぜひぜひ叶えてください。
地球の裏側じゃないけど、お互いのことはずっと想っているよ。
うん。わかった。

でも最後の最後、
背中合わせ。
振り向かず歩いていく二人。
えっ、まってまってまってそこ離れていかんとって!!!
いわんや最後のセリフがまさかの「じゃあな」ときた。
暗転。
エンドタイトル。

呆然である。

うまく脳内が整理できない。
私に言わせれば胸掻き毟りたくなるようなラストカット。

へぁああああああ????

のちにこの時ふたりの指に結婚指輪が輝いていたことなどなど様々な補足情報を入手し(初回まずそこを見逃していたのは私が悪い)、その内容に少し気持ちは和らいだが、それはまたこの後の話だ。この一瞬、私はクソミソに打ちのめされていた。(そしてその後、指輪情報を得てもなお、ノッシリと心に塞ぐ重いものは残った)

状況としてはわかる。
恋人同士である前にひとりの大人として、自己実現に向かっていく尊さもわかる。
でもそれ、この二人で、今、この最後のシーンでやらないかんことなん?
「おっさんずラブ」が見せないかんもんなん???
(てかそんな高尚なオシゴト描写どこにあった???)

いや、百歩譲ってその全てを良しとしたとして、
この時の私は最後の最後を“背中合わせに離れていくふたり”の描写で終わらせられたことに、なんだかもうもう言葉に出来ない悲しさを背負い込んでいた。

あとになって(結果として私はこの映画を合計21回観ることになるのだが)思うに。
これはやっぱり制作側と私の根本的な立ち位置の差からくる違和感だったのだろうと思う。

20代のPを中心に若い制作陣の皆さん。
それこそここにかかわるほとんどの人が「おっさんずラブ」できっと人生初レベルの輝かしい成果を叩き出し、
自分の将来、これからのキャリアに燦然と光が射していたであろうピークが、この劇場版制作時だ。

人生、好きだの愛してるだのだけでいいの?

仕事があって、社会に認められて、ひとりで立ってこその恋愛だよね?

うん。
そこに思いが至っていく過程はわかる。
そこを描いてみたい欲求もわかる。
しかも主人公ふたり、春田と牧もまた同じ世代。
プライベートではこれから家庭を得ようかという(得てくれ!)20~30代。
仕事ではこれから組織の中心となって活躍すべき世代のひとたち。
そのために必要な理想のパートナー像もわかる。
仕事か恋愛か、プライオリティを設定しなきゃいけないタイミングがあることもわかる。
そうなんだよね、それはそれで正しい思考回路よね、とも思う。

でもね。
たぶんそこが私とズレてた。

私はおそらく彼らよりひと世代ふた世代上の人間だ。
そして多分自他ともに認める“めちゃめちゃ仕事人間”だったオンナだ。
まだまだ女性差別も格差も当たり前のようにそこらじゅうある中で、目指す夢もポジションも別に具体的なものはなかったけれど、でも仕事はなんやかや楽しかった。月の休みは2日とかいう今なら完全にブラックな状態だったけれど、でもその分だけの収入はちゃんとあり、気が付いたら望外に責任あるポジションも与えられていて、それこそメディアに取材されたりもした。忙しいけれど、スケジュールは自己管理。区切りがついたら明日から休みまーす!と一人旅に出るような、そんな毎日…振り返ってみれば、たいした充実度だ。それなりに心に残る恋愛もいくつか経験し、そこから結婚・出産のあと、子育て専念の時期を経て再就職。またガツガツ仕事をする状態に戻ったけれど、私以上にバリバリ家事をやってくれる夫のおかげでなんとか子育てとの両立も乗りこなして、さて、子育ても最終盤、な状態。
そんな“ひと通り、あれもこれも経験し尽くした”私が、そのタイミングで出逢ったのが運命の連ドラ「おっさんずラブ」だったのだ。

とにかく人を想うこと。
それぞれの人間が、さまざまな立場で、やり方で、
その美しさ切なさ苦しさ、その全てをひっ込めて
「生きるってすっばらしい!!!」と全力で感じさせてくれた世界。

メチャメチャ仕事して、子育てで気が狂いそうになって、次はそれを両立して。
そのさなかに、この感情を思い出させてくれた物語。

ドラマ版のおかげで私の脳内と生活は見事なまでにデトックスされた。
もっと家族との時間を増やそう。
時間はないけど、ごはんは楽しんで作ろう。
そう思って生活してみると、世界は妙にキラキラして見えた。
仕事に対するウキウキも何故か増した。

ここだったんですね。

人生、今このステージにいる私、そして、ドラマ版によってたくさんのものを思い出させてもらった私が、この作品の中の「自己実現」とか「夢」とかを見た時に、ひっかかったのは、それって、「好きな人と、モフモフしあわせに毎日を生きる」ことの中に、含まれていちゃいけないの?ということだ。それとは別に、その前に、まず“成し遂げなきゃいけない”ことなの?という疑問。
「夢、叶えてくださいね」はいいとして、それって何か確固とした“成し遂げたいこと”を掲げて、天下統一、キラキラそれを叶えていくことを指してるの?ってか、愛と仕事って、優先順位をつけて順繰りにこなしていかなきゃいけないことなの?そして、何よりも、それ、この作品、よりにもよって、この「おっさんずラブ」で訴えたいこと……よりにもよって、あの、牧凌太に言わせなくてはならないセリフなの?という大ハテナマークだったのである。

思えば、劇場版の宣伝ポスター牧くんバージョンに
「夢を追いかける人であってほしい。自分も、大切なあなたも」のコピーが添えられていたことも、このタイミングで私のモヤモヤに重なった。最初に見た時なんかひっかかった、アレやん!!!

確かに私も「女性がバリバリ仕事してるところってあんまり見たくないんだよね」と言った彼氏とはソッコー別れた。だけど別に天下獲ろうと思って仕事してきたわけじゃない。それでも仕事は楽しかったし、充実感もあった。でも一度の人生、好きな人との生活と社会人としての自己実現って、二者択一しなきゃならないの?自分の夢(牧くんのそれがなんなんだかは、いまだによく正体掴めないけども)を理解して、応援して、なんなら自分の夢を中心に、構って、我慢して、融通してくれる人じゃないと人生共にはできひんの?いや、それ、何様?いやいやいや、そもそもそんなの抜きにして人生って美しいね、素晴らしいね、ってのを描き切ったのが「おっさんずラブ」で、牧凌太だったんやないの?つか牧くん夢とか未来とかそんな話はるたんに1度でも伝えたことあるんかい!?(いや春田にもマサムネにも伝えてなかった)描き方、ザツじゃね????

すみません。言い過ぎました。跳びすぎですね。
(でも“夢”話が初耳で戸惑うはるたんに対して、“理解してもらえないのはツライ”の爆弾発言を牧くんがブッコんだのは事実なのだ…)

話を戻すに。
制作陣のその思考回路に思い当たるフシは、あった。
そもそも「おっさんずラブ」という企画がこの世に生まれたキッカケは、その生みの親であるテレ朝P(独身20代女性)が、女友達の家に泊まった際、上げ膳据え膳でゴハンづくりと身の回りの世話をしてくれた彼女に対し「なんでこの人と結婚しちゃいけないんだろうと思った」のが始まりだという話だ。
細かいヤツだと思われるかもしれないが、私はこのエピソードを初めて知った時からこの話にとてもモヤモヤしたものを感じていた。そのモヤモヤを仲の良い民友さんたちとの推しトークの中にブッ込んで、皆にドウドウと嗜めてもらったことも一度や二度ではない。(みんなゴメンね。ありがとう)

然るに。

えーと、この場合、
ケッコンって何なのかな。どんなものだと思われてるのかな?
身の回りの世話をしてくれる人をGETすること??
自分が“煩わしいこと抜きに”?“仕事にまい進”するために?
じゃあ、そうなった場合、逆に彼女にとってのケッコンって、
彼女の人生って、何なの????
彼女にあなたとケッコンするメリットはあるの?
まさか“養ってあげるから”とか思ってる??????

思い返せば、連ドラの時から確かにそんな匂いはしていた。
牧くんはひたすら春田さんのご飯を作り、掃除洗濯をする。
それにより春田さんの生活は「超レベルUP」する。
当の牧くんも伝説のバックハグの際ズバリ聞いていたではないか。
「家事に困るから自分を引き留めたのか」と。
春田さんはそれを否定し、そうではないと言ったけれど、牧くんが去り、荒れた春田家には今度は部長が乗り込み、また炊事洗濯を引き受ける。か~ら~の、部長とのケッコン(未遂)である。

結局、“一緒に暮らす人”=“面倒を見てくれる人”の構図は崩れず、
弁当作ってくれる人=結婚相手かよ!と、この点において当時から私の怒りの沸点は低かった。

実は映画の途中、
その私のモヤモヤを払拭してくれるシーンはちゃんと存在した。
炎の中のSASUKEシーンで武蔵が叫んだ
「出~た~よ!何も言わずにわかって欲しい、構ってヒロイン爆誕!!!!」である。

ホンマやん!

私がとにかくゴリッゴリの湖民(林遣都ファン)で牧ラーでタナカーでハルターな箱推し民であることは自他ともに認めるところであると信じたいのだが、この時ばかりは拍手喝采である。
よう言うた武蔵!さすがの指導力、武蔵!!!

それなのに。

ああ、それなのにそれなのに。

ラストのシーン、またまた牧くんは言うのだ。
「春田さんも、夢、叶えてくださいね」。

崩れ落ちる私。

「夢」の描き方がはっきり言ってザツだったのも、この疑問に輪をかけた。
たとえば連ドラ版2話のはるたんは、現在でも過去でもきちんと“仕事”をしていた。
おじいちゃんのために。
後輩カップルのために。
その人たちの人生がこれから少しでも愛に満ち、幸せであるように。
そんな語りも説明も何もなくても、はるたんが何のために働き、どんな哲学を持って仕事をしているのか、その思いは私の胸に自然と響いた。

片や今回の劇場版。
この「夢」や「自己実現」の中身が、あまりに拙いのである。
あの、牧凌太が、あんなに身を切るほど愛した春田さんを、1年も離れて、やっと自分の手の届くところへ帰ってきた春田さんを置いてでも海を渡る…その思いにあまりにも説得力が無さ過ぎるのである。

のちのち様々な媒体を通して私も知ることになるところなのだが、
こうした現象は、この劇場版のそもそもの組み立て方にもその遠因があるように思う。
“映画だから” 何かやりたいよね!という制作側の指向。
爆発!誘拐!海外ロケ!!!
どう派手に、どう話題作りのネタをぶっこみ、どうカネを使ってつくるか。
実際、それらをブッ込むことを求められたがために、用意していたプロットが幾度となく書き換えられたことも、今は周知の事実である。

もちろん、その手法によって後からネジ込まれたシーンのひとつが前述のサウナシーンだったことなどを鑑みれば、それが完全悪ということでは無論ない。劇場版は、ドラマ版を知らない層にも沢山観に来てもらわねばならない。メディアに取り上げてもらうためには派手なセールスポイントも必要だ。
だがしかし、そのために犠牲になったものは少なくなかったのではないか。それは、「おっさんずラブ」という作品がつけるべきプライオリティだったのかと、私個人は今も残念に思っている。

かくして、

痛いほど晴れた青空をバックにしたふたりは左右に生き別れる。(言い方)

からの
ど~みど~みど~~みど!!!!

…エンドマーク。

……なぜ……

私は言葉もなく崩れ落ちるように座席に沈み、
そのまま混乱した感情を抱えてゆらゆらとスクリーンを後にした。

誤解はしてほしくないのだが、わたしはこの作品を創り上げたPや脚本家、監督の方々がダメな制作陣だとはカケラも思っていない。そして彼の人たちを嫌いでもない。どころか、そのものづくりの姿勢や、作品にかける愛情や、チームづくりの手法と労力に対して多大なるリスペクトと、感謝と、敬愛の念を持っている。ものすごい熱量で(それもキモチ悪いが)持っている。
だからこそ、ここんとこがとても、非常に、大きな楔となって胸に刺さってしまった一面は否めない。
彼らが間違っているのではない。彼らと私の考える“仕事”“恋愛”“ケッコン”、そして“「おっさんずラブ」で描くべきもの”の概念が違っていただけだ。
そして、たぶん、私は大好きな「おっさんずラブ」と自分の持つ哲学の、その“ズレ”が“悲しかった”のだ。受け入れ難かったのだ。

じゃあ、なんで、私はそんな釈然としない、悲しい思いを抱えて、その後この劇場版に通ったのか。
あっちの劇場こっちの劇場、人生初の応援上映を含め実に総計21回もこの映画を見に通ったのか。

答えは簡単である。

好きだから。

(ハイ5話。)
(つれぇ橋、来ました)

これだけグチャグチャと御託を並べ、コキおろしておいてそれかよ!といわれたら御免なさい。
でも、そうなんです。それしかない。

納得いかない、と 好き、は別なんだ。

私はそのことを思い知らされた。

前述のグダグダを全て差し引いてなお、あれもこれも全部含めてなお、
私はこの作品が好きだ。
その感情はもう如何ともし難いものだった。

面白い。
泣ける。
愛おしい。
そう、私はこの作品が好きで、大好きで、なんなら愛しちゃってる。
その心情はもう如何ともし難いという事実が突き付けられたのだ。
惚れた弱みとはよく言ったもので、
これはまさに完膚なきまでの完敗である。

では何故?
なんでそうなった???

先に述べた好きなシーン等々は勿論なのだが、それ以外にも“好き!”のポイントは多々ある。

はるたんが帰ってきたときのホーム感。
変わらない第二営業所にもういちど、本当にまた会えた幸福感。
相原さんにセリフもあった!
マイマイと鉄平兄はいいコンビ感に磨きがかかり、マロの愛はついに成就した。
ちずちゃんは相変わらず私のミューズだし、
民として尊敬止まないオカリナちゃんの愛は、相方ゆいPの名演となって作品内に実を結んだ。

そして、

これらに加え、私の敗因(←)となった決定的なシーンがひとつある。

それこそがクライマックス、
言わずと知れた炎の中の告白シーンである。

荒唐無稽な誘拐劇。
設定はザツだしストーリーにも無理ありまくり。
いやいやまずは警察呼べよに始まり、そのトタン蹴破ったらいんでね?等々、
見ていて言いたいことは山のようにあった。
途中挟み込まれるぷるぷるマサムネの恋心に至っては
ショックを通り越して地蔵のポーズ。
心のフタなんざ もう木っ端微塵に空の彼方だ。

でも。

炎に追い詰められた生と死の境で、
やっと言葉を絞り出すようにふたりが言葉を交わしはじめた時。

牧の手を握り、呆けたコドモのように春田が言う。
「俺、な~んにもわかってなかった…」

それに答えて牧が言う。
やっと素直に、やっと真っ直ぐ、春田さんの目を見ながらの告白。
「俺も…深くなればなるほど、今の関係が壊れるのが怖くて…」

…いたじゃん!
春田さんが好きで好きでどうしようもない、
だから春田さんのことになるとビビリで一歩引いてしまう、
臆病で愛情深い牧凌太!ここにいたじゃん!!!!

そして、
訥々と牧への思いを連ねた最後、涙を零して春田は言った。
「死んでも牧といっしょにいたぁい…!!」

はい、終了。(ダム崩壊)

このシチュエーションに説得力があるのかどうか、
そんなことは私にとって最早どうでもいい話に成り下がった。

このセリフが聞きたくて、
この春田創一が見たくて、私はこの映画を待っていたのだ。
私の惚れたはるたんが、私の会いたかった牧くんが、ちゃんとここにいる!

「俺も、はるたさんじゃなきゃイヤだ」

知ってたよ!
やっと言ったね!(ダム下流の村まで水没)

つまりは、この演技の説得力である。

そこにはちゃんとふたりがいた。
春田創一と牧凌太がいた。
ふたりは自分たちの言葉で、お互いを想う気持ちを確認しあった。
それが見ているこちらの深いところにキチンと届いて、すとんと落ちた。
ああ、これが見たかった。そう思えた。

そしてそう思わされたら、ほかの何がどうであろうともう仕方ない。
術中に落ちたこちらの負けである。
はるたんと牧くんはもう壊れない。
信じさせてくれてありがとう。

ラストシーンまで来た時に、また は?となりはしたものの、
ショックでゆらゆらと映画館を出て、全編を思い返し、あの炎の中のふたりをココロに思い浮かべた時、
いや、そこも含めて大丈夫なんだ。
ふっきれてないのは私。
あの炎の中でふたりは、お互いがお互いを、“死んでも”一緒にいたい存在だと確信できたんだ。
だから牧くんは旅立つんだ。

自分に言い聞かせるような気持ちも働いていたのかもしれない。
この作品を“嫌いになりたくない”想いもあったに違いない。
だが、このあと結婚指輪の事実を知らされた時、素直に ああ、ならよかった!と思えた自分もいたのだ。

背中合わせのふたりは気に食わない。
ラストショットはいまだに好きになれないし、
聞きたくないセリフもたくさん?あるけれど、

でも、この映画が大好きだ。

劇場版おっさんずラブ。
まさにLOVEでDEADじゃないか。

2019年夏、
こうして私は劇場に棲みつくことになった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

思えばこの夏、
希望と狂騒と喜びに満ちたこの時間こそが、連ドラ版ラストのブラックアウトが放送された2018年6月3日深夜と並んで、私の沼人生最幸のPrecious Ttimeだったこと。今となっては寂しさすら感じるこの事実を、それでも私は認めざるを得ません。
告白すると、こののちこの作品界隈に勃発した、私にとってあまりにも耐え難い出来事のために、あんなに愛した“春田創一”すら、一時期、地雷に堕ちかかった時期もありました。まだ上映中だったこの劇場版を、まともな精神状態で見られない日もありました。
たかがドラマ。たかが映画。そうかもしれないけれど、この作品で人生が変わった!レベルの思いを抱いていた私にとって、それはもう身を裂かれるような苦痛激痛でした。

でも、そんな時、この沼の中には、一緒に泣いて叫んで肩を抱いてくれる人たちがいました。本当に毎日毎日、私たちは泣き、わめき、届かぬ恨み言を空に向かって虚しく投げ続けました。一緒に泣いてくれる人の存在をこれほど頼りに思ったことはありませんでした。
中には、自分はその次の世界を受け入れ、楽しみに思っていたにもかかわらず、そう思えない私のために声を抑え、気を配り、沼の環境と棲み分けに配慮してくれたり、ささいな日常の出来事を共有して私を笑わせてくれた人たちもありました。救われました。
本当に、本当に、
こうしてこの作品を通して私と関りをもってくださったあなたに、心から感謝をしています。
あなたたちが大好きです。

結局、私はこの作品から離れることができませんでした。
いろいろまだモヤもカスミも残ってはいるけれど、「時が癒す」ってこういう感覚を言うのだな、と思えるまでに落ち着きました。それもみんな、同じこの作品世界を愛で、語り、共有できた人たちあってのことだと感じています。

この文章をUPしようとした、まさにその瞬間にもまたひとつ、皆の“好き”を傷つける爆弾が落ちてきたけれど、
深呼吸をひとつして、今までのことを振り返った時、私自身にとってそれはもう些末な、ささくれひとつの現象でしかないと受け止めることが出来ました。
この作品が私に与えてくれたものは、結局なに一つ傷ついても、壊れてもいません。
好きな人に好きと伝えて、共に生きる幸せを諦めないこと。
人と自分の違いを認めて大切に生きること。
そして、
この界隈にいる全ての人たちと、優しく温かい縁を結べたこと。
“好き”を共有できたこと。
時を経て今だ続くこの情熱的で愉快な交流を持てていることが、
この作品に出会って私が得た一番の財産かもしれない。
今はそう思えています。

あれ?

これレビューですよね……

作品の口コミが見たくて読んでくださった方、
最後オタクのオタクによるオタクへのラブレターみたいになっててごめんなさい。
これはもしかしたら映画レビューと言うより、ドラマ版からこの作品をのめって見ている いちオタクのココロの記録と言った方がふさわしい文章かもしれませんw 
全て読んでくださった方、ありがとう。
ほんと、気持ち悪かったら許してくださいw

映画が初見という方にはきっと、笑えて泣けて萌え散らかせる、気軽で楽しいファミリー映画だと思います。←
見てくださって、面白い!と思えたら、ぜひドラマ版「おっさんずラブ」にも手を染めてみてください。

人生を変えるドラマとの出逢いになるかもしれません。

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