関東での再放送も本日で最終回。
5話の感想も別途TVログ内にてまとめていますので、そちらもよければ!
こちらは6話以降を中心にした全体の感想です。
教師と中学生が恋愛関係になるまでとその周りの反応、抑えきれない感情…この難しい世界観がしっかりと創り上げられていてのめり込めた。
教師と中学生だった関係が終わってからの6話以降、若干の休憩時間のように大それたことは起きずに、いわばそれぞれの整理の時間が続く。
この間の時間を描くのはすごく難しかったんじゃないかと。
9話で大きく動き出す。
聖と晶以外の周りの人たちは、それぞれの対象者に向き合って直接的に変えようとするのでなく、外堀を埋めるか逃げるかになってたから、ここまでの年月を重ねてやっと本質的に進展していく。
その中で、黒岩父と晶の対話がかなりエモかった。
正直この本質的な進展からの物語をもっと見たかった感はあったけど、そこからが2話観られただけでも贅沢か。
そして最終回。
結局あのように2人の恋愛が成就する結末になったことは、2人の強く諦めないお互いの愛が認められたという見方ももちろんできるが、それ以外に「愛(好きという気持ち)」は自らの感情として暴走させるのでなく、相手の立場や状況、未来などの全てを鑑みた上でどうするかを考えて、行動していくことで昇華するのが大事であることのメッセージでもあったように思えた。
その中で極めて重要だったのがタイミング。
だから黒岩が大人になってまた最後に出会えた。
このタイミングにお互いが繋がることが、お互いの幸せのために最善だったのである。
恋愛に一直線になりすぎると、(特に今回のような場合は)周りが見えなくなり、それがなかったときに選択肢としてとれたであろう大切な希望の未来が潰れることになる。
恋愛と色んな選択肢をとることができる希望の未来(夢)。
これは何も必ずしもトレードオフではないということ。
だとしたらもっと伝えてもよかっただろうにと思ったが、それも伝わらないほどに周りが見えなくなっていたのもまた今作の「あるまじき純愛」が交差する恋愛であるというのが今作のオチだったのではないか。
あそこまでしないとそれに気づかずに暴走してしまっていた。
何かを捨てることになってた。それは晶だけじゃなく聖も。
2人とも、(特に聖は)何か失ったように見えたけど、結局何も失わずに済んでいて、それはあのとき完全に2人が引き離されたからである。
どこかでくっついてたらそれはそれでどちらもが何か失っていたよなーと考えるとよくできてる。
どこかでくっついていたら晶は大学に進学すること、聖は別の形で教師になることは、確実にできていなかっただろう。
それは本当の意味での幸せではないというのが答え。
「聖ちゃんがこの先ずっと笑っていられますように」
晶が書いていた日記のこの言葉が全てだった。
2人を引き離そうとしていた黒岩母は、実は2人を引き離したかったのではなく、晶の未来を壊したくなかっただけだったのかもしれない。
2人が繋がってたら上記のように何かしらを捨てないといけなくて、それだけは避けたかっただけだったのではないかなと。
大学を出たことで母親としての仕事は終わって、だから解放した。
この思惑をラストシーンで考えられるようになって、物凄い感慨深い気持ちになった。
もちろん引き止めていたのは2人の恋愛を認めていなかったことも背景にはあったにせよ、こんなにも子のことを考えた上で出していたあの行動だったのかもしれないと思うと、あの行動とかも素敵なことだったんだなーと。
ラストに向かうにつれて、本当の意味でそれぞれが誰かのことを考えてその人のために行動に移していくようになっていくのが印象的だった。
結局誰も責められないし、むしろポジティブに思えるようになっていく展開。
それぞれの経験したことが確かにみんなによい影響を与えていき、ラストシーンに昇華されていく素晴らしいドラマだった。
ラストちゃっかり伏線回収もしてくる。
また、物語の中で流れるからこそ、音楽たちがたまらなくよくて、もうドラマの中で聴けなくなるのかと思うと残念。
キャストはみんなよかったですが、何より世間から見てあるまじき行為をする背徳感とは対照的に、白み(透明性)や美しさをどんどん帯びていくヒロインの先生を見事に演じた有村架純が最高によかったです!
このドラマは好きすぎて観たり主題歌や挿入曲を聴くと、ついのめり込みすぎて他のことに手がつけられなくなる強度があるので、当時の放送以降、時間あるとき以外は意識的に逆に触れないようにしてます。笑
P.S.
中学聖日記がここまでの傑作たり得たのは、有村架純や岡田健史をはじめとするキャスト陣の名演と音楽の素晴らしさももちろんあるが、何と言ってもそれらをひっくるめた塚原あゆ子の演出あってよね!
あんなエモい演出、間違いなく唯一無二でしょ!