日本でも圧倒的な人気を誇る『ラ・ラ・ランド』は、ライトな洋画ファンにも愛されている一作だ。華やかなミュージカルシーン、切ないラブストーリー、涙なしでは観られないラスト……。本作をきっかけに、洋画にハマった方も多いだろう。
『ラ・ラ・ランド』を手掛けたのは、若手監督デイミアン・チャゼル。音楽への造詣が深く、かつてはジャズミュージシャンを目指していた彼の作品は、音楽学校に入った青年と教師の対決を描く『セッション』、宇宙飛行士の実話『ファーストマン』など、音へのこだわりが強く感じられる。
そして今年、彼の新作がNetflixで公開された。ジャズクラブのオーナーを主人公に据えた『ジ・エディ』だ。ジャズクラブのオーナーといえば、『ラ・ラ・ランド』のセブが憧れていたポジション。そういった意味でも、『ラ・ラ・ランド』ファンにはうれしい設定ではないだろうか。
が、しかし、『ラ・ラ・ランド』ファンの目線でこの作品を観ると、結構グサッとやられるだろう。というのもこの『ジ・エディ』、序盤からずっとしんどい展開が続くからだ。カッコいい演奏シーンで始まったかと思いきや、カメラが妙にズームしたり手ぶれする。そのぶん臨場感はあるのだが、執拗にミュージシャンや歌い手に近いカットで、やや困惑させられるのではないだろうか。その後「今日の演奏は最低だった」という愚痴、バンド間の確執、借金取りの登場にある事件が勃発したりと、言ってしまえば、暗い展開が続く。華やかな舞台の「裏側」を延々と見せられるのだ。
チャゼル監督の作品に共通するのは、独りよがりで他者に攻撃的なキャラクターだが、『ジ・エディ』ではこの部分もエスカレート。アメリカで成功をおさめ、ある過去の出来事でパリに移り住んだ主人公は、敵ばかりを作る人間で、周囲から「めんどくさい奴」認定されている。視聴者からも、共感を呼ぶキャラクターではないだろう。『ラ・ラ・ランド』好きから見ても、「ジャズクラブの経営ってしんどいんだよ」「有名ピアニストの本性ってこうだよ」というものばかりを見せられて、「これは自己否定なの……?」となるかもしれない。『ラ・ラ・ランド』を好きであればあるほど、共通点を全否定してくる要素が、少々突き刺さるのではないか。そしてこれは、無意識とは思えない。
つまりこの作品は、ある意味で「ミアに会えなかったセブ」を描いているともいえる。もしくは、「ミアを愛せなかったセブ」と言い換えてもいい。そう思って冒頭から見返すと、なんとも切ない気持ちになるから不思議だ。