変な話だが、ドラマ「火花」は、私にとって最も「火花」な「火花」である。
えーと、どういうことかと言うととても説明し辛いのだが、「火花」にはいろんな「火花」があって、このドラマの他には別キャストで撮影された映画版もあるし、芥川賞を獲った又吉直樹氏の原作小説「火花」(言うまでもなくそもそもこれが全ての源の「火花」である)だってある。
で、これら全部、同じ物語なんだからさ〜、表現方法が違うだけで同じ「火花」でしょ〜?となるかというと、どっこい、見てみると(読んでみると)思いっきりそれぞれがその世界観から何から全然別物!なワケで、で、こっから先、細かく言ってると日が暮れるので詳細は割愛するけれども、私にとっては原作小説をも差し置いてこのネトフリドラマこそが「火花」なのである。つまり、そんな大仰なことを言いたくなるくらい、このドラマは私にとっての完成版「火花」なのである。
その緻密な叙情性とか役者のハマり具合とか画面の巧さとか使える時間の容量とか、要因はいろいろあるんだろうけども、その一つひとつはあちこちで既に評論され尽くしてる感があるのでその辺をご参照いただきたい。多分そんな感じなんだと思う。(雑)
ただ言えるのは、もし、この作品を10代のポワンポワンした私が観ていたら、きっと徳永と同じようにあほんだらに憧れて、その神様の堕ちていく様にヒリヒリしたと思うし、20〜30代のガツガツ仕事に生きていた私が観ていたら、プロデューサーの誘いより神谷の誘いを優先させる徳永に「甘いねん!」ともどかしさにヒリヒリしていたろうなということである。この映像作品にはそれだけのチカラがある。だから逆に、もしそういうタイミングで出逢っていたら、どちらにしても辛かったりイラッとしたりで、「良い作品ではあると思う」という前置き付きで、こんなに心を占める大好きな作品にはなっていない気がする。
故に、この今の自分の立ち位置(そこそこ落ち着いた状態の自称・大人)でこのドラマに出会えて、(それでも繰り返し観るにはメンタルコンディションを要する程度にやっぱりヒリヒリしていることを差し引いても)素直にこのドラマ好きやねん!愛おしいねん!と言える状態であることは、私にとってとてもシアワセなことだなぁなどと思っている。
そう。私は愛おしいのである。このドラマの全てが。
林遣都と波岡一喜。徳永と神谷。
よくぞこのふたりで、この脚本で、この撮影順で撮ってくださった。本当にこれは奇跡のような組み合わせだと思っている。誰に言えばいいのかわからないけれどもとにかく各方面に感謝、感謝である。多分、これがネトフリだったのもものすごくものすごく幸運なことだったんだろうと思う。
太鼓のお兄さんとか
路上ライブのサクラとか
真樹ちゃんの家の鍋とか
ベージュのコーデュロイとか
後輩芸人の軍団とか
銀髪それ模倣でしょうとか
胸にギュインギュインくる場面が余りにもてんこ盛り過ぎて挙げるのにも一苦労。
そしてその中で、私がラスト漫才のライブシーンよりも何よりも号泣してしまって毎度目が開かなくなるのは、真樹ちゃんちで、真樹ちゃんと神谷さん、ふたりに布団に乗っけられて、ぐるぐるぐるぐる回されている徳ちゃんの子どものような笑顔…アレが一番なのである…
あのシーンの一瞬の、穏やかで柔らかな、でも先に続かないであろうことがわかっている刹那の楽園感…あの空気を出せるのは、あの時、あの時間の中にいた林遣都という役者だけだ。
徳永という人間を演じさせてもらえたことは、彼にとって役者としてかけがえのない天からのギフトだったし、それを画面のコチラで拝ませてもらえた私も、こんな幸せはないなあと心の底から有り難く思ったシーンである。
てなわけで、是非もう一度、地上波で放送していただきたい作品である。
もっと沢山の人に観てもらって、認知してもらって、もうそこら中でで「もー!あそこのシーンがさー!」とか語り合いたいのである。叫びたいのである。それだけの価値のある作品だと強く思っている。
NHKさん、たのんます。