さっぱり分からないのは、
音楽家・古山裕一が主人公なのに
彼が何を思って今、軍歌を作曲しているのかが伝わらないこと。
というか、まったく描かれていないこと。
つくりたいものがつくれないのは辛いでしょう?と
弟子に問われても、返す言葉が「与えられた仕事をこなすだけ」。
その表情にためらいや苦悩の色はなく、
ただただ純粋にそう思っているように見える。
いやマジか。
主人公がそれでいいのか。この受け身な姿勢が、
令和時代を生きる人たちに支持される主人公像なのか。
ドラマのタイトルは「エール」なのだから
「音楽が誰かの心を鼓舞すること」が主題であるはず。
そ...
さっぱり分からないのは、
音楽家・古山裕一が主人公なのに
彼が何を思って今、軍歌を作曲しているのかが伝わらないこと。
というか、まったく描かれていないこと。
つくりたいものがつくれないのは辛いでしょう?と
弟子に問われても、返す言葉が「与えられた仕事をこなすだけ」。
その表情にためらいや苦悩の色はなく、
ただただ純粋にそう思っているように見える。
いやマジか。
主人公がそれでいいのか。この受け身な姿勢が、
令和時代を生きる人たちに支持される主人公像なのか。
ドラマのタイトルは「エール」なのだから
「音楽が誰かの心を鼓舞すること」が主題であるはず。
それが世の中を明るくする方向にも、
(結果的に)間違った方向に向かわせることにも作用する。
原爆を発明してしまった物理学者が苦悩するように
裕一の中にくすぶるものは何もないのだろうか。
恩師の出征を目の当たりにしたはずなのに、
試験で手が震える弟子へ
「好きな音楽を思い浮かべれば緊張しないよ」という
屁の突っ張りにもならないアドバイスが
裕一にとっての「エール」なのか。
「露営の歌」は当時の軍歌には珍しく短調だという言及があった。
戦意高揚が目的のはずなのに短調なのは、
出征が必ずしも前向きなことばかりではないということ。
残された家族にとっては、
いや本人にとっても悲哀かもしれないということ。
戦時下、言葉ではそれを表現できないから、
短調に込めたということではないのか。
だからこそ大ヒットしたのであり、
それこそが音楽の力、裕一の力ではないのか。
裕一の本心はこれから描かれる、
そのために今は貯めに貯めているのだ。
そう思っていたけど、本日回の屈託のない表情を見て
懸念せざるを得なくなってきた。
このまま裕一が何ひとつ苦悩や葛藤なしに物語が進むなら
それこそ古関裕而さんへの冒涜だ。
オレは動くよ。