再放送されていたのを鑑賞して、ハマったので完走しました。
聴覚障がい者である画家と女優を目指す女性が出会い、すれ違っていきながらも愛を深めていく物語。
繋がりそうなのに、なかなか繋がらないすれ違いの愛が、お互いの心情も交わってとても丁寧に描かれている。
本作を鑑賞してると、映画『his』を鑑賞したときと近しい感覚が少しだけあった。
声を通じて会話をすることができないことが恋愛の足枷になっている、という描写は少なくて、周りの理解もちゃんとある。
だからあくまでも主題はそこではない。
逆にそれによって、お互いの愛をより強く認識できるようになっていたし、ちゃんと「二者間の愛ゆえ」にフォーカスしているのがよかった。
愛しているがゆえに、相手のことを色々と考えてしまって、何かをしようとすることが空回ってしまう。
愛しているのに、相手のことを信じ切ることができなくて、よくない言動をしてしまう。
愛し合ってるのに、だからこそ一緒になることに難しさが伴う。
言葉足らずになってしまうことで起こるすれ違いが切なさを募らせていく。
そんな恋愛におけるもどかしさが、このドラマには詰まっていた。
全てが愛することが前提となって起こることであり、それこそがこのドラマのよさだなと感じた。
愛が深ければ深いほど、その人の存在から受ける感情は、より大きく忘れられないものとなっていく。
楽しいことはより楽しく感じ、嬉しいことはより嬉しく感じ、悲しいことはより悲しく、寂しいことはより寂しく感じる。
そしてそういう人との一瞬一瞬は、ずっと心に残る大切でかけがえのないひとときで、そういう特別な日常は、何も特別なことが起こることではなく、日常の中に愛している人の存在があるかで決まってくる。
誰かを好きになることから遠ざかっていくことで忘れかけている全てのことを、このドラマは思い出させてくれて、改めて愛し合える存在がいることの尊さを感じられる。
ベタな演出や少し大袈裟な言動も含めて、このドラマには全てがプラスに働いているような気がした。
ベタなのもこの時代だからこそ生まれたのかなって、やはりこの時代が作り出した今では生まれ得なさそうなベタさは、逆に現代にとってはあまり感じることができない真っ直ぐさが素敵だなと思える。
意思疎通が今のように簡単にできないからこそ、真正面から伝わってくるものがあったり、一つ一つのやりとりにより心が敏感になることができるのかなと思う。
豊川悦司と常盤貴子の色気が爆発してる攻めのオープニングもよく、ドリカムの曲が本当にハマりすぎててたまらなかった。
このドラマそのものなんよね、これは大ヒットするのも超納得!
矢田亜希子のデビュー作のかなり大袈裟なリアクション強めな演技も、逆に味があってよかった。
16歳であの威風堂々としてる雰囲気出せるのは凄かった!
どちらかというと上手じゃない演技に見えるけど、これくらい振り切れてる方が逆によかった。
「愛してる」と言ってくれでなくて「愛している」と言ってくれなのは、手話だからこそなんだろうなと。
普通に声に出すと愛してるとなるけど、手話だからこそ愛しているとちゃんと表現することができる。
紘子は、天真爛漫の中に愛される何かを持っているヒロインとして、常盤貴子が圧倒的な魅力を放っていて、豊川悦司は今も渋くてかっこいいですが、当時あんなにかっこよかったのかってなった。
常盤貴子ってどちらかというと聡明なイメージを抱いてたけど、お茶目な人柄もとても合ってた!
あとは健ちゃんね!
もうよい人すぎてどうにか報われて欲しいと最後まで願ってた。笑
だからこそ彼を置いてけぼりにしない脚本と演出がよかった。
ラストの展開はわりと予想外な感じだったけど、余韻が残ってよかったし、あのラストシーンができたのも、ラストの展開があれだったからこそできたことよね。